(写真展のステートメント用に書いた文章の、ロングverです。)
さまざまな事象や規律や構造に関して、よく分かんないな、と思いながら生きている。 行き交う人々が当たり前のように受け入れる、あるいはうまく呑み下していることを目の前にして、立ち尽くすことが多い。その歯切れの悪さは心地の良いものではないから、写真制作をしている。ことばに出来なかったことをどうにか頭から取り出して、「現像」したいのだ。割り切れない事柄を扱うわけだから、いったんフィクション的なピントの曖昧な世界に逃げ込むことにした。サイアノタイプ は、奇麗だ。 最終的には性別/ genderというよりはむしろ女性性/ womanhood /femaleness/ femininityに関する作品群が仕上がった。 はじめは広くジェンダーなるものを扱う作品展にするつもりだったのに、ジェンダーロールが原因で生きづらいというよりは、自分のもつ女性の身体・女性という概念がはらむシグナルに戸惑ってきたと気づいたからだ。 私は女だからといって進学を阻まれたり、給与差別をうけたりしたことはない。セクハラが跋扈する旧式コミュニケーションを頑張らなくても生きていける環境もある。祖母は「あんた、えらいな。ええ時代やな、よう勉強しい、やりたいことやりや。」と言った。その通りだと思う。性を保有する実体として社会を生きるほど、フェミニズムや女子教育について学べば学ぶほど、自分が女性に生まれついたことで被った社会的不平等は少ない。 また、シスジェンダー(身体と性自認が一致しており、異性愛者である)におおまか当てはまるのでLGBTQ+のような葛藤を持って世を生きているわけではない。ただ、メディアが形づくる女性らしいふるまい、社会通念の求める女性らしいコミュニケーションというものにはずっと馴染めない。じゃあ男性らしさを自ら身に付けたいかと言われるとそうでもない。根幹にあったのは、社会的期待と自ら知覚する実存のズレだ。女性の自認と、社会に浮遊する女性の概念イメージが合わない。合わせないと奇異の目で見られる、それが煩わしい。いつのまにか自分が内在化してしまった「虚構の他人の眼」といまだに闘っている。それは過去の経験と感情の蓄積で、現在とはかけ離れたところにあるはずなのに、いつも歩く先から覆いかぶさってくる気がして息が詰まり、痛くて仕方がない。 今回の制作で個人的に生きる女性性について探索した結果、それは美しいものであった。性的なるシグナルは、今まで無意識に忌避していたような悪いものではないよ、と自らに学びを与える時間であった。 今まで撮ってきたスナップと全く違う作風に取り組むのは魂を削るような行為だった。正解はないし、何が自分にとっての正解かもわからない。静物的で輪郭の定まりきらない世界。でも手を動かしながら形と色に浸かることではじめて解ることがそこにはたしかにあった。 今回の制作した作品を眺めてみて、「社会的コミュニケーションでは表出されないけど、内面はめちゃめちゃ女してるんだな」と思った。そのように女を突きつけられたと同時に「これが女か?個体差では?」と実態がつかめないような気もする。 制作をするなかで見つめるものは近眼的な自己だった。私は大枠としてシスジェンダーに当てはまると自認しており、LGBTQのような息苦しさを感じることはない。しかしただ生きづらさを感じることがあれば社会的期待と自ら知覚する実存のズレだと気づいた。今後探索していくとしたらこの部分になってくるだろう。今回の制作で個人的に生きる女性性について探索した結果、それは美しいものであった。性的なるシグナルは、今まで無意識に忌避していたような悪いものではないよ、と自らに学びを与える時間であった。 思えば、ずっと「ことばならざるもの」に圧倒されながら生きてきた気がする。周りの誰しもが当たり前のように使う、感情や感覚や関係性を表すことばをうまく使いこなせなくて、いつも歯切れの悪い思いをしてきた。私たちの生きる現実はそれぞれに違い、同じことばでわかりあうにはあまりにも複雑すぎるように思い、何もうまく言い表せないようなきがして、話そうと試みる前から口をつぐんでしまう。 それから、いつのまにか自分が内在化してしまった「虚構の他人の眼」といまだに闘っている。それは過去の経験と感情の蓄積で、現在とはかけ離れたところにあるはずなのに、いつも歩く先から覆いかぶさってくる気がして息が詰まり、痛くて仕方がない。 地続きの生において、わたしは実践のなかから実感を得たい。自分のこと、他者とのかかわりをより深く知りたい。そして、その先に抽出されたもので構成された磁場に共感してくれるような人たちと一緒に生きてゆきたい。これまで「私が何かを作ったところで誰が需要する?」と思ってなにも手につけられていなかったけれど、結局のところ自分の生き場所を確保し、荒波にあらがい、同類の人々と寄り集まるという、自分の生存戦略が制作という手法なんだろう。
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自分の記憶の外部化がてら、サイアノタイプ について書いていきます。わたしが事前の情報収集ではあまり気づけなかったポイントについて重点的に説明しておくと、どなたかの役に立つのかも、と思ったので。
サイアノタイプ 概要 サイアノタイプを一番端的に言い表すとしたら、「写真の古典技法のひとつで、濃青のイメージが得られます」となるでしょうか。 サイアノタイプ はシアノタイプ・青写真・日光写真とも呼ばれ、鉄化合物をつかって写真を現像します。英語ではCyanolumen と書いてあるブログもありました。(こちら、すごく素敵な作品が載っています。)また、anthotype(アンソタイプ) という、植物をつかった日光写真と同列で扱われていることも多かったです。 現像原理は銀塩写真と同じで、「光を透さない黒い文字や線が感光剤の変化を抑えることを利用し、潜像を形成させる」(wikipedia)方式です。濃青の画像が得られますが、これをお茶やコーヒーでトーニングしてもまた深みのある色になって面白い(らしい)。 よく用いられる原材料はクエン酸鉄(III)アンモニウムとヘキサシアノ鉄(III)酸カリウム(赤血塩)わたしは学生時代化学が好きだったので、化学式をみるとちょっと楽しくなります。とはいえもう知識は飛び去ってますし、自分で材料やレシピを応用することは不可能なんですが...(くやしい) 4 Fe2+ + 3 K3[Fe3+(CN)6] → Fe3+4[Fe2+(CN)6]3 + 9 K+ + e- わたしは王道商品の「ジャカードシアノタイプ増感剤セット」(amazonへのリンク) を買って使っています。アメリカだったら12ドルほどで手に入るっぽいのですが日本だと大体3500円ですね...。それでも内容量は、一般個人が原料を個別で買うのとあまり変わらないので、感光液生成のプロセスを研究するのでもなければ労力的にもこれを買うのが一番コストパフォーマンスがいいのかなと思います。あまり量をつくらないという人なら、少量で売っている・感光紙既製品を売っているブランドもあるはず。 ネガづくりが大事、ロウひき紙でもネガ作りができる フォトグラム的ではなく銀塩写真のように焼きたい場合、やはりネガをどれだけうまく作れるかで、結果の9割が決まると思っています。まず、イメージより少しコントラスト強めに出力したほうがきれいな結果が得られます。これは原則。またよくある説明では透明の「OHPシート」にプリンターで画像を印刷し、それを感光紙に載せて現像する、というものでした。しかしわたしのプリンターではOHPシートをうまく印刷できませんでした。 そこで、他の方法を探したところ「ロウヒキ紙」に行き当たりました。コピー用紙にネガ用に色調反転させた画像を白黒印刷して、それにロウをひきます。youtube動画や幾つかのウェブ記事を読んで、アイロンとクッキングシート、ふつうのロウソクがあれば簡単にできることがわかりました。実際、アイロンやアイロン台が漏れたロウで汚れる可能性があるので、もしロウが漏れたら片付けのときに不要紙をのせ、その上からアイロンをかけたら吸い取ってくれます。 感光液を塗った紙はちゃんと乾かす わたしはずぼらなので、乾かさずにまともな結果が得られるならそれに越したことはない、と思いまずそこからはじめました。知見としては「紙は乾かしましょう」です。当たり前の結論になりましたね、はい。まず、ロウヒキ 紙の場合特にネガがやられます。紙も反るので安定しない仕上がりになります。もちろん予期せぬ面白いパターンを得られることはあります。濡れたままの感光紙に塩や石鹸の泡や葉っぱやターメリック粉を載せて、計画性では得られない結果を楽しむのもいいでしょう。でも、望み通りのイメージは仕上がってきません。わたしは大量に作るとき、日光のささない夜に感光紙を大量生産しておき、次の日起きて作業しています。 追記: こちらには「濡れたままのほうが発色する」と書いてあるので、そのような場合もあるようです。わたしもいつかきちんと実験してみます。 白色ワトソン紙がやっぱりきれい とても情報豊富なブログやfacebookのcyanotypeグループを見て、サイアノタイプ には水彩紙がいいことはわかっていたのですが、自分で試して自分で解りたいという性分が抑えきれず、水彩紙だけでなく、コピー紙、写真紙、和紙、画用紙、厚紙、段ボール、石や木にもサイアノタイプ を試してみました。石も染まるは染まったので面白かったのですが、結局一番発色が鮮やかで陰影が美しいのは水彩紙・ワトソン紙でした。 museのナチュラルワトソンとホワイトワトソンで試したのですが、ホワイトの方がやはりきれいなコントラストを得られます。影になっていた部分の余分な感光液を洗い流したあとの紙の水キレもいいので、紙の端が望まない青色になっていたという事態が防げます。あとは、写真の光沢紙もきれいでしたね。エプソンの光沢紙をつかったら、鮮やかなセルリアンブルーになりました。 表面が赤茶っぽくなるまで感光させると濃い色がでる わたしがいろいろ読んだものによると、「日の下で30分程度感光させる」と書いてありました。しかし目安としてどうなっていたらどういう仕上がりが得られるのかよくわからないまま。未露光の感光液は黄緑色です。それが感光するとどんどん青色にそまっていきます。かなり濃い紺色になったから「もういいかな」と思って洗い流すと色が定着してなかったことが何度かありました。紙によるのかもしれません。でも基本的に、紙の日光に曝露されている部分がすこし赤ちゃけた色(余剰の鉄3価?)くらいになってから水洗することをお勧めします。 オキシドールはあってもなくてもいい 水洗いのあとクエン酸・希酢酸・オキシドールなどで洗うとしている説明もありますが、わたしは水洗だけです。オキシドールをスプレーボトルにいれてたまに使うのですが、たしかにコントラストが早く濃くなります。ただ濡れたまま、感光液が残ったままの紙に振りかけてしまって変なことになったので、まずきちんと水洗いが第一です。 日光が強い日に短く露光させるほうがきれい これは個人的な感想なのですが、日光が弱い日に長時間露光するより日光が強い日に短く露光させるほうがきれいです。なるべく真上から太陽が照っている時がいいですね。でもいつでもそんな時間帯に作業をできるわけではないので、わたしは屋上を貸してくれる人をずっと探しています...。 感光液は混ぜてから数日たっても使える 「ジャカードシアノタイプ増感剤セット」はふたつの材料が個別にボトルに入っており、そこに水を入れて保存するようになっています。混ぜたらすぐ使えなくなるから混ぜた分はすぐ使い切って、と書いてあったような気がしますが、液を混ぜてからでも暗所に保存しておけば少なくとも数日は普通に使えました。涼しい時期限定なのでしょうか、よくわからないけど経験談として報告しておきます。 いまのところは以上です、また思い出したら追加で書くかもしれません。 リンク 東京オルタナ写真部「サイアノタイプとデジタルネガティブ」 徳永写真美術研究所「古典印画技法講座 / サイアノタイププリント1」「サイアノ&ジアゾ感光法での青写真ワークショップ」 今年末に2人展をすることになった。
世代の違う女性作家2人でギャラリーを借り、セクシャリティや身体性に関する展示をする。 私は、その展示のためにサイアノタイプという、青色の日光写真に取り組んでいる。これは1842 年、"photograph"という語の創案者であるハーシェル(John Hersche )により考案された、鉄化合物を用いた写真印画技術だ。 これまで散々デジタルカラー写真ばかり撮ってきたところからすると、かなり異質でむずかしい。 写真作家と呼ばれる人々の中には、手焼きモノクロで制作をする人が数多くいる。それはそれは美しい作品を作り上げるのだけれど、「なんでわざわざ白黒?」と不思議に思うこともあった。そしてその感覚は、モノクロームでアナログな制作をしよう、と決めた自分にも襲いかかってくる。 写真家と作品を観察していると「あえてそれっぽくしている」人もいなくはない。コントラストを強くした白黒写真というのは、それだけでカッコよく見える。それに、これまで写真に技術革新を起こしてきた "巨匠" と呼ばれる写真家たちの白黒写真を見ていると、その雰囲気に憧れて自分も追随したいと思ってしまうものだ。写真の正統性みたいなものを、伝統的手法という文脈を付随させることによって作り出すこともあるだろう。 もちろん深みのある写真を撮る人は、用いるメディアについても十二分に自覚的なのであって、他者へのミーハー心だけでモノクロ一辺倒なわけがない。だからモノクロ写真を撮る人に知り合うとよく「なんでモノクロやってるんですか?」と質問責めにしてしまう。 答えは人によって様々だった。「なんでって....好きだから?」「手に取ったカメラとの相性かな」「うーん、師匠がやってたから」「暗室にこもるのが好きなんだよね」「その時の空気を閉じ込めやすいと思うから」「ものの形に興味があるから」。 写真家には寡黙な人、言葉にするのが得意でない人も多くて、まだうまく「写真家の言語」を話せない私には、各人の動機を実感として理解するのはむずかしい。でもやっぱりモノクロ制作された写真に比較して同じ写真をカラーで見ると「なんかやっぱり違うな...」と思うことは多くて、モノクロで鑑賞者の前に出される写真はモノクロであるべき写真なのだと思う。 そしてモノクロ写真作家はフィルムを使う人が大半だ。撮影段階であえてフィルムを使うには、フィルム撮影独特の絵柄を得るため、限られたフィルム枚数で決め打ちしなければならない緊張感、レトロなカメラだから被写体が油断しやすいこと、電気がなくても撮影できること、それぞれの写真家ごとに様々な理由がある。そしてフィルムを手焼きする人にモノクロ愛好者が多いのは、美しいグレーのコントラスト、印画紙の好み、往々にしてカラー手焼きの技術が複雑すぎて家で作業しにくいからだったりする。 私が感知していないモノクロ撮影の理由はまだまだあると思うが、少なくとも「なんとなくそっちの方がかっこいいから」だけでは良い写真は作れない、というのは確かなようだ。 私自身は、今回写真というメディアの本質を自分なりに理解したいという思いがあった。気がつけば周りにデジタルカメラやスマートフォンが存在していた世代だ。当たり前のように手にとって当たり前のように膨大な写真や動画を保存してしまう。いったんそこから離れて、何をどうして切り残したいのか、考えながら写真を制作したいと思った。 もう一つは、情報の取捨選択にフォーカスをして技術を上達させたいというねらいがある。私が世界に対峙するとき、目にする情報をどれも同列にありったけ取り込んでしまうという認識傾向がある。それゆえ圧倒的な情報量に、処理・理解が追いつかないということがよく起こる。だから作品制作をしようとおもっても、「まとめる」ということが苦手で仕方がなかった。この状況でどの情報が優先して主張されるべきか、という判別をつけられなかったのだ。 だから写真を見てもらっても「雑多でまとまりきっていない」「要素を捨てるのが下手だ」「一枚一枚は良いのかもしれないけど、ひと繋がりの作品としては弱い」などのフィードバックをもらうことが多かった。 色彩という情報を削ぎ落とした中でどのような物語が浮き立つのか。自分は何を語ることができるのか、作りながら考えてみたかった。あとは、洗練された構図も習得したい。それには、対象の輪郭や陰影が浮き立つモノクロ写真の方が都合がいい。 気を付けたいのは、色に甘えないようにするということだ。とても美しい藍色の写真が出来上がるから、ついついその色合いの美しさに夢中になって内容の充実度に目を向けるのすら忘れてしまう。そもそも自分にとって新しい技術を探求しているのでそれだけに集中してもいいのだけれど、一生サイアノタイプ縛りの作家になりたいわけではなく、自分の存在意義はあくまで視点にあると思っているから、それをうまく表出するためのメディアだと捉えての制作だと意識しておきたい。 いつもと違う写真メディアでの制作を通じて、視野を耕している感覚がある。そのスコープがしっかり磨かれると、世界を眺めるのがいっそう面白くなるのだろう。そう期待して、ゆっくり手を動かしつづける。 ドバイで撮った写真を、小さな写真展に出した。
“世界の日常” という文脈をつくり、ほか6点と組み合わせて出したうちの一枚だった。 国民のほとんどがイスラム教徒であることに対して、住人の 9 割が外国人であるドバイ。 様々な背景の人が様々な目的を持ち、折り合いをつけて共存する街。 隅々まで完璧な青空と細かい柔らかい白浜、世界的なリゾートとしても名高い地だ。 そこに立つ黒いベールで全身を覆った人々はわたしには異質に見える。 このアバヤ姿の女性たちには実際、この風景はどう見えているのだろう。 作品をみた人からは様々な反応があった。 「どこの国?綺麗な青だね!」 「色の対比がいいね。」 「ハダカで平気な人と全身を覆うことが身だしなみの人が両方いて、面白い」 「女性の抑圧を感じるな。」 綺麗な風景が背景だからこそよけいに女性の抑圧を感じる、という意見を語ってくれたのは、 異国から日本に嫁ぎ、美しい娘を育てた美しい母親だった。 彼女はいつも柔和な微笑みをたたえ、雰囲気をなごませるような振る舞いをかかさない人で、 それゆえ強い意見をことばにした彼女を見て、よく知った人も「意外だ」という顔をした。 写真展が終わって数ヶ月して、彼女はわたしたちのコミュニティに姿を見せなくなった。 感染症の折、母国に帰れず風習も言語も違う国で家庭以外にほとんど出ていく場所がなく、疲れてしまったようだった。 わたしは、いつも穏やかに笑う姿の後ろにあった苦しみに、まったく気づくことができなかった。 この写真を見ると、いつも彼女のことを思い出す。 写真一枚を見る視点にも、その視点の持ち主の経験や感情や思考が綿密に絡み合って現れる。 あなたにこの写真はどう見えるだろうか、その感触の裏に、その解釈の根底に、 どんな記憶があるだろうか。わたしはそれを知りたいと思う。 直接、無遠慮に、他人の心の柔らかいところを暴き立てるようなことはどうしてもできない。なんらかのフォーマットやパッケージが要る。それで鏡にうつった相手を横から見るようにして、ひとを理解しようとしている。 アンビバレントで正解がない、変容の最中にある世界において、何を誰に表出していいのか分からない。 偏っていると思われるのもダサイと思われるのも嫌で、なんとなく一般的にいいとされるもので自分を囲む。 ジェンダーというトピックは、とくにそういう不安を内包するものに見える。 分かち合いは無難にやり過ごすいとなみの対極にのみあるのかもしれない、 そういう希望を抱いて、わたしは一枚の写真をまた人前に差し出す。 かけがえのない人間関係、生き方と働き方、社会に対する向き合い方、それら全てが変質した20代のおわり。わたしは予期せず、何の義務も伴わない浮遊した時間をたっぷり手の内にすることになった。そこでいったん幽居し、今までの記憶をもう一度舌の上に載せてころがし、新しい解釈を取り付けようとこころみた。いうならば、旅を旅するような時間を過ごした。
思えば昔から、一枚めくったところにある自分を晒すということにおっくうさと一抹の恐怖を感じていた。それをする意味をなんら感じておらず、いつも自分の夢想する世界に浸っていた。そこに説明を与えるとすれば、ひとつは周りの言動から自分の義務やふるまいの正解を小器用に読み取り、既製の仕組みの中で輝くという、いわゆる優等生的な成功体験あるいは生存戦略を幼少期に覚えたことだ。さらに、目の前にある環境に自分なりの意味を見出しそれなりに何でも楽しめてしまうというお気楽な可塑性が、自分の中に同居していることにも由来する。 20代は探索の時期だった。好奇心と直感が熟慮をすっとばして掴み取ってくる出来事をこれでもかとカレンダーに詰め込んだ、自分の内から湧き出てくるものを人前に置く余地がないくらいに。わたしは内面をエピソードで埋め尽くした幅広い事情通で、何らかの ”視点” にはなり得なかった。どれだけ様々な国を放浪したとて、人類学を体系的に学んでみたってそれは同じだった。 わたしは世界にあふれる多種多様なかたちと色が好きだ。自分の手でものづくりをするのも昔から好きだった。カメラを通じて縁取る情景の中に構図や色の対比・美しさを見出すと、それだけで生きている意味が成立すると思う。また、あえておおげさなことばで切り分けられることのない、ふとした時の人の営みやふるまいに内在する愉快さにも、同じような心地よさを感じる。それらを他人に見せることについても、なんの意義も感じていなかった。 “自粛” をすることが正常とされる世界線で京都に定住し、内省の時間を経た。自分をがんじがらめにしていたものごとを手にとって多角的に眺め、そこに湧き出る感情に言葉を取り付けた。 自分の思考や嗜好・指向の輪郭が立ち現れてきた時、はじめて自分の磁場を作りたいと思った。自分を投げた先に他者がいる世界を見据えたいと思えた。その結実が、この写真展示だ。 5万枚の写真から、右往左往しながら抽出した写真を額装し改めて眺めてみると、なんてシャイな写真ばかり集めたんだろうとちょっと笑ってしまった。だけど、今のわたしは、それを「面白いね」と言ってくれる人たちと仲良くなりたい。 言語も習慣も様々な部族が今でも多く存在しているエチオピア南部。主に牛を飼って生計を立てているムルシ族という人々がいる。身体に大胆な模様を描くこと、独特の装飾品、そして女性が下唇の内側に穴を開けて素焼きのプレートをはめている、ということで有名だ。ムルシ族では、大きな皿をつけていればいるほど美しい女性とされている。 その独特の美意識に多くの写真家も引き付けられ、"mursi tribe photography"と調べるとフォトジェニックな彼らの顔がブラウザ上にずらりと並ぶ。 そんなダイナミックな写真に魅了されこの民族を訪れることにしたのに、私は実際彼らを目の前にして写真をほとんど撮れなかった。 ムルシ族の居住地に行くためにアルバミンチという街で現地ガイドを雇い、集落を訪れる。ムルシ族はムルシ語を話すため、エチオピアの首都で主に用いられる公用語アムハラ語も通じない人が多い。他にも集落に行く客がいたため、まとめて一人のガイドが引率してくれることになった。 実際ムルシ族の集落についてみると、人々が車に気付き、どんどん外に出てくる。食事の準備をしていた女性たちもその手を止めてこちらに向かってくる。 ガイドに説明されるまでもなく、ムルシ族の面々は私の目の前に立ってはカメラを指差し、自分を指差し、「フォト、ファイブ・ブル」と言った。自分の写真を撮れ、そして5ブル(約20円)を支払え。そういうことだ。 想像していなかった状況に圧倒されたと同時に「金ヅルが来た、そう思われているんだろうな」と考えてしまった。外国人だ、金を持ってる、稼ぐチャンスだ、と。 ガイドがいないと言葉も交わせない無力感、しかも「観光客は自分たちの写真を撮りに来るもの」だと向こうは割り切っている。自分からいい被写体になり、シャッターを切らせるべく私たち外国人の視線の先を動き回り、体の装飾を見せつけるムルシ族。屈強な身体をした若い男たち、老婆、子連れの母親たち、そして子供達。放牧に行っているであろう男性たち以外が、総出で現金収入を獲得しに来ていた。 もちろん謝礼は支払わなくてはいけない気持ちで来た。写真も撮りたくて来た。でも実際目の前にあった状況に、うまく馴染んで楽しむことができなかった。 私は寂しかった。名前を尋ねたかったし、自己紹介もしたかったし、どんな生活なのか話したり、やってくる外国人をどう思っているのか聞いてみたかった。 ムルシの言葉が解ったらよかったのに。せめてアムハラ語を少しでも解ればよかったのに。即興で何かパフォーマンスができる能力があったらよかったのに。 次々と「フォト、ファイブ・ブル」の押し売りがやってくるから、最初はそれに応じて数枚写真を撮った。言葉が通じないなかで敬意と好感を示したくて、おずおずと5ブル札を両手で渡してヘラヘラと笑顔を作った。でも5ブル札をもぎ取った女性は、抱えている赤ん坊の分も5ブル払うようにガイドに要求し、それを断られると、背景を変えてもう一度撮れと催促してくるばかりだった。私の持っている文化的コードはムルシ族には伝わらなかった。そして被写体の彼らは、通じ合うことをそもそも求めていない。 資本主義の行き届いた先進国からきた、何も知らない観光客がエキゾチックな民族を美化した態度でしかないかもしれない。ムルシ族からしたら、金銭授受のあるモデル業は観光客との対等なビジネス関係だろう。お金を落とさない外国人なんて来て欲しくないはずだ。私が彼らの生き方や考え方や習慣を知りたいと思ったところで、それはよそ者の好奇心でしかない。彼らの生活に直接的なメリットになるのは、写真を撮らせお金を受け取る行為。アムハラ語を少しだけ話す青年は、ガイドにこう言っていたそうだ。「仕事?フォトだよ」と。 5ブル札をどんどん握らせ、どんどん写真を撮っている白人男性も隣にいた。 ガイドもそれを期待しているようだった。「なんだ、君は写真をとらないの?」そう聞かれた。今までインターネット上や写真集で見てきた写真も、こうやって5ブル札を介して続々と作られたものだったのだろうか。しかしエチオピアの辺境でしかみられないエキゾチックな風景を写真に撮って、それを投稿したSNSを沸かせられる。一枚5ブルは安いではないか。お互いにwin-winだ。 自分が観光客の立場に甘んじるしかないことは理解していた。ガイドを雇って、たった1時間かそこらの訪問をしているだけの見た目も言葉も違う外国人。私たち外国人にとってここでしか見られないだろう風景と人々。そして写真撮影は、ムルシ族にとって貴重な現金収入を得る機会。なのに、自分の経験とモデルになるムルシの人々を両方消費している気になって、やっぱり気持ちを切り替えることができなかった。 もう3、4年も前のことになるが、今でもあの時どうするのが自分にとっての正解だったんだろうか、と時折思い出す。 そういえば、自分から始めたことって写真くらいだな、と最近思う。
よくも悪くも素直で好かれたがりの子供で、周りの大人が良かれと思って進める道ばかりとってきたから、自分にしっくりこないことまでそれなりに出来るが、それなり以上にならない器用貧乏に育ってしまった。そんな中で、自分から手に取って、今でも続いているのは写真くらいだ。 そもそも写真を続けられているのは、写真が人生の絶望感を薄めてくれたからだった。 もともと学校みたいな管理される場所に馴染めなくて、「自分がダメな人間だからこの場に合わせられないんだ」と縮こまっているばかりだった。 だから、人間なんて嫌いだったし人間をやめたかった。ホヤくらいになって漂っていたいと思っていた(ホヤ可愛いし)。 写真を始めたのは、たまたま見つけた結婚式場のアルバイトだったけど、それから自分でもカメラを買って、どこに行くにも持って歩いた。旅にもカメラを携えて行った。そんな中で、自分が撮る写真が人々の生活のふとした瞬間を切り取ったものばかりだという事に気づいて、案外人間好きなんだと思い直した。 意識の奥深くにある、まだ言葉になっていないもの。写真はそういう分かりにくいものを掬いとって、貯蔵しておいてくれる。景色と共に保存される、当時の自分の視点。これを後から見返すことでどれだけ助かったか。 記憶は、思考の癖によって改変される。そして本人はそれを自覚できない。だから時々、自分の立っていた場所がわからなくなってしまう。 自分の経験がゆるがない景色として写真に残っているということは、感情に覆われた記憶から一歩外れたところから経験を省みる機会を与えてくれる。これが自分にとって大切なことだから、カメラを手放せない。 もちろんカメラがあることによって初めて可能になる他者とのコミュニケーション、初めて獲得することができる視点、いろいろな理由が他にもある。 だけどこんなに写真という行為とメディアに対して信頼感を寄せていられるのは、写真があったから暗闇から抜け出せた、そういう実感があるから、そう言い切ることができる。 紫雲の海が美しい。
群青や薄水色、橘色や薄紅色が飛び交ううろこ雲。 そこに薄く伸ばした綿の花のように、薄紫色がかかっている。このようにたとえば色の名前を知ることで、より多くの光のつぶが世界を鮮やかに映し出し、より美しく詩的な世界に住することができる。 頭の中で風景の立方体を切り取り、古典文学の抜粋に当てはめながら、印象派の絵画の色調に移し替えながら咀嚼をする。 そういう世界だから、正気を保つことができる。つらいことが起きようとも回転してゆく景色の中に美しさの片鱗を見つけることができるから、生きていよう、と思う気持ちがわいてくる。 まっとうに、ただしく、自分をいたわりひとに優しいことをしたいと思うことができる。 そんな世界で生きている。 日常をたくさんのうつくしい物語で埋め尽くす、そうやって生き延びてきた。 I do not use 'fantasy' in the ordinary sense of the word, with its popular connotations of whimsy, eccentricity, or triviality, but as another name for that world of imagination which is fuelled by desire and which provides us with an alternative world where we can continue our longstanding quarrel with reality. -Indian Identity by Sudhir Kakar おもむろに、ゴミを出しにいった。
黄色い京都の燃やすゴミ用の袋。 すでに積まれているものは、昨夜出されたもののようだ。昨夜見かけた車がその元の主か。 中身が透けて見えるのでみてしまった。 白黒の水引、筆ペンのパッケージ、未使用の介護おむつパッド。 ああ、お葬式が終わったんだな。 ここでは、年間100人の人口が減る。 ゴミ袋4つ。ひとつの命が通り過ぎた証。 今年の初夏、苔を大事に育てているお屋敷の草引きをした。
水やりをしたあとおもむろにスギナを抜いたら、その陰から小さなカマキリが慌てふためいて逃げ出した。 昨日生まれたんだろうか。今朝だろうか。見渡すとそこここで気配がする。 腕一本分向こうでは、ぴょんぴょん蜘蛛が別の小さなカマキリを捉えて食べている。 こうしてしゃがんでみて初めて見える世界。 私たちの静謐な日常では、いつも乱闘が繰り広げられている。 |
Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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