自分の記憶の外部化がてら、サイアノタイプ について書いていきます。わたしが事前の情報収集ではあまり気づけなかったポイントについて重点的に説明しておくと、どなたかの役に立つのかも、と思ったので。
サイアノタイプ 概要 サイアノタイプを一番端的に言い表すとしたら、「写真の古典技法のひとつで、濃青のイメージが得られます」となるでしょうか。 サイアノタイプ はシアノタイプ・青写真・日光写真とも呼ばれ、鉄化合物をつかって写真を現像します。英語ではCyanolumen と書いてあるブログもありました。(こちら、すごく素敵な作品が載っています。)また、anthotype(アンソタイプ) という、植物をつかった日光写真と同列で扱われていることも多かったです。 現像原理は銀塩写真と同じで、「光を透さない黒い文字や線が感光剤の変化を抑えることを利用し、潜像を形成させる」(wikipedia)方式です。濃青の画像が得られますが、これをお茶やコーヒーでトーニングしてもまた深みのある色になって面白い(らしい)。 よく用いられる原材料はクエン酸鉄(III)アンモニウムとヘキサシアノ鉄(III)酸カリウム(赤血塩)わたしは学生時代化学が好きだったので、化学式をみるとちょっと楽しくなります。とはいえもう知識は飛び去ってますし、自分で材料やレシピを応用することは不可能なんですが...(くやしい) 4 Fe2+ + 3 K3[Fe3+(CN)6] → Fe3+4[Fe2+(CN)6]3 + 9 K+ + e- わたしは王道商品の「ジャカードシアノタイプ増感剤セット」(amazonへのリンク) を買って使っています。アメリカだったら12ドルほどで手に入るっぽいのですが日本だと大体3500円ですね...。それでも内容量は、一般個人が原料を個別で買うのとあまり変わらないので、感光液生成のプロセスを研究するのでもなければ労力的にもこれを買うのが一番コストパフォーマンスがいいのかなと思います。あまり量をつくらないという人なら、少量で売っている・感光紙既製品を売っているブランドもあるはず。 ネガづくりが大事、ロウひき紙でもネガ作りができる フォトグラム的ではなく銀塩写真のように焼きたい場合、やはりネガをどれだけうまく作れるかで、結果の9割が決まると思っています。まず、イメージより少しコントラスト強めに出力したほうがきれいな結果が得られます。これは原則。またよくある説明では透明の「OHPシート」にプリンターで画像を印刷し、それを感光紙に載せて現像する、というものでした。しかしわたしのプリンターではOHPシートをうまく印刷できませんでした。 そこで、他の方法を探したところ「ロウヒキ紙」に行き当たりました。コピー用紙にネガ用に色調反転させた画像を白黒印刷して、それにロウをひきます。youtube動画や幾つかのウェブ記事を読んで、アイロンとクッキングシート、ふつうのロウソクがあれば簡単にできることがわかりました。実際、アイロンやアイロン台が漏れたロウで汚れる可能性があるので、もしロウが漏れたら片付けのときに不要紙をのせ、その上からアイロンをかけたら吸い取ってくれます。 感光液を塗った紙はちゃんと乾かす わたしはずぼらなので、乾かさずにまともな結果が得られるならそれに越したことはない、と思いまずそこからはじめました。知見としては「紙は乾かしましょう」です。当たり前の結論になりましたね、はい。まず、ロウヒキ 紙の場合特にネガがやられます。紙も反るので安定しない仕上がりになります。もちろん予期せぬ面白いパターンを得られることはあります。濡れたままの感光紙に塩や石鹸の泡や葉っぱやターメリック粉を載せて、計画性では得られない結果を楽しむのもいいでしょう。でも、望み通りのイメージは仕上がってきません。わたしは大量に作るとき、日光のささない夜に感光紙を大量生産しておき、次の日起きて作業しています。 追記: こちらには「濡れたままのほうが発色する」と書いてあるので、そのような場合もあるようです。わたしもいつかきちんと実験してみます。 白色ワトソン紙がやっぱりきれい とても情報豊富なブログやfacebookのcyanotypeグループを見て、サイアノタイプ には水彩紙がいいことはわかっていたのですが、自分で試して自分で解りたいという性分が抑えきれず、水彩紙だけでなく、コピー紙、写真紙、和紙、画用紙、厚紙、段ボール、石や木にもサイアノタイプ を試してみました。石も染まるは染まったので面白かったのですが、結局一番発色が鮮やかで陰影が美しいのは水彩紙・ワトソン紙でした。 museのナチュラルワトソンとホワイトワトソンで試したのですが、ホワイトの方がやはりきれいなコントラストを得られます。影になっていた部分の余分な感光液を洗い流したあとの紙の水キレもいいので、紙の端が望まない青色になっていたという事態が防げます。あとは、写真の光沢紙もきれいでしたね。エプソンの光沢紙をつかったら、鮮やかなセルリアンブルーになりました。 表面が赤茶っぽくなるまで感光させると濃い色がでる わたしがいろいろ読んだものによると、「日の下で30分程度感光させる」と書いてありました。しかし目安としてどうなっていたらどういう仕上がりが得られるのかよくわからないまま。未露光の感光液は黄緑色です。それが感光するとどんどん青色にそまっていきます。かなり濃い紺色になったから「もういいかな」と思って洗い流すと色が定着してなかったことが何度かありました。紙によるのかもしれません。でも基本的に、紙の日光に曝露されている部分がすこし赤ちゃけた色(余剰の鉄3価?)くらいになってから水洗することをお勧めします。 オキシドールはあってもなくてもいい 水洗いのあとクエン酸・希酢酸・オキシドールなどで洗うとしている説明もありますが、わたしは水洗だけです。オキシドールをスプレーボトルにいれてたまに使うのですが、たしかにコントラストが早く濃くなります。ただ濡れたまま、感光液が残ったままの紙に振りかけてしまって変なことになったので、まずきちんと水洗いが第一です。 日光が強い日に短く露光させるほうがきれい これは個人的な感想なのですが、日光が弱い日に長時間露光するより日光が強い日に短く露光させるほうがきれいです。なるべく真上から太陽が照っている時がいいですね。でもいつでもそんな時間帯に作業をできるわけではないので、わたしは屋上を貸してくれる人をずっと探しています...。 感光液は混ぜてから数日たっても使える 「ジャカードシアノタイプ増感剤セット」はふたつの材料が個別にボトルに入っており、そこに水を入れて保存するようになっています。混ぜたらすぐ使えなくなるから混ぜた分はすぐ使い切って、と書いてあったような気がしますが、液を混ぜてからでも暗所に保存しておけば少なくとも数日は普通に使えました。涼しい時期限定なのでしょうか、よくわからないけど経験談として報告しておきます。 いまのところは以上です、また思い出したら追加で書くかもしれません。 リンク 東京オルタナ写真部「サイアノタイプとデジタルネガティブ」 徳永写真美術研究所「古典印画技法講座 / サイアノタイププリント1」「サイアノ&ジアゾ感光法での青写真ワークショップ」
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今年末に2人展をすることになった。
世代の違う女性作家2人でギャラリーを借り、セクシャリティや身体性に関する展示をする。 私は、その展示のためにサイアノタイプという、青色の日光写真に取り組んでいる。これは1842 年、"photograph"という語の創案者であるハーシェル(John Hersche )により考案された、鉄化合物を用いた写真印画技術だ。 これまで散々デジタルカラー写真ばかり撮ってきたところからすると、かなり異質でむずかしい。 写真作家と呼ばれる人々の中には、手焼きモノクロで制作をする人が数多くいる。それはそれは美しい作品を作り上げるのだけれど、「なんでわざわざ白黒?」と不思議に思うこともあった。そしてその感覚は、モノクロームでアナログな制作をしよう、と決めた自分にも襲いかかってくる。 写真家と作品を観察していると「あえてそれっぽくしている」人もいなくはない。コントラストを強くした白黒写真というのは、それだけでカッコよく見える。それに、これまで写真に技術革新を起こしてきた "巨匠" と呼ばれる写真家たちの白黒写真を見ていると、その雰囲気に憧れて自分も追随したいと思ってしまうものだ。写真の正統性みたいなものを、伝統的手法という文脈を付随させることによって作り出すこともあるだろう。 もちろん深みのある写真を撮る人は、用いるメディアについても十二分に自覚的なのであって、他者へのミーハー心だけでモノクロ一辺倒なわけがない。だからモノクロ写真を撮る人に知り合うとよく「なんでモノクロやってるんですか?」と質問責めにしてしまう。 答えは人によって様々だった。「なんでって....好きだから?」「手に取ったカメラとの相性かな」「うーん、師匠がやってたから」「暗室にこもるのが好きなんだよね」「その時の空気を閉じ込めやすいと思うから」「ものの形に興味があるから」。 写真家には寡黙な人、言葉にするのが得意でない人も多くて、まだうまく「写真家の言語」を話せない私には、各人の動機を実感として理解するのはむずかしい。でもやっぱりモノクロ制作された写真に比較して同じ写真をカラーで見ると「なんかやっぱり違うな...」と思うことは多くて、モノクロで鑑賞者の前に出される写真はモノクロであるべき写真なのだと思う。 そしてモノクロ写真作家はフィルムを使う人が大半だ。撮影段階であえてフィルムを使うには、フィルム撮影独特の絵柄を得るため、限られたフィルム枚数で決め打ちしなければならない緊張感、レトロなカメラだから被写体が油断しやすいこと、電気がなくても撮影できること、それぞれの写真家ごとに様々な理由がある。そしてフィルムを手焼きする人にモノクロ愛好者が多いのは、美しいグレーのコントラスト、印画紙の好み、往々にしてカラー手焼きの技術が複雑すぎて家で作業しにくいからだったりする。 私が感知していないモノクロ撮影の理由はまだまだあると思うが、少なくとも「なんとなくそっちの方がかっこいいから」だけでは良い写真は作れない、というのは確かなようだ。 私自身は、今回写真というメディアの本質を自分なりに理解したいという思いがあった。気がつけば周りにデジタルカメラやスマートフォンが存在していた世代だ。当たり前のように手にとって当たり前のように膨大な写真や動画を保存してしまう。いったんそこから離れて、何をどうして切り残したいのか、考えながら写真を制作したいと思った。 もう一つは、情報の取捨選択にフォーカスをして技術を上達させたいというねらいがある。私が世界に対峙するとき、目にする情報をどれも同列にありったけ取り込んでしまうという認識傾向がある。それゆえ圧倒的な情報量に、処理・理解が追いつかないということがよく起こる。だから作品制作をしようとおもっても、「まとめる」ということが苦手で仕方がなかった。この状況でどの情報が優先して主張されるべきか、という判別をつけられなかったのだ。 だから写真を見てもらっても「雑多でまとまりきっていない」「要素を捨てるのが下手だ」「一枚一枚は良いのかもしれないけど、ひと繋がりの作品としては弱い」などのフィードバックをもらうことが多かった。 色彩という情報を削ぎ落とした中でどのような物語が浮き立つのか。自分は何を語ることができるのか、作りながら考えてみたかった。あとは、洗練された構図も習得したい。それには、対象の輪郭や陰影が浮き立つモノクロ写真の方が都合がいい。 気を付けたいのは、色に甘えないようにするということだ。とても美しい藍色の写真が出来上がるから、ついついその色合いの美しさに夢中になって内容の充実度に目を向けるのすら忘れてしまう。そもそも自分にとって新しい技術を探求しているのでそれだけに集中してもいいのだけれど、一生サイアノタイプ縛りの作家になりたいわけではなく、自分の存在意義はあくまで視点にあると思っているから、それをうまく表出するためのメディアだと捉えての制作だと意識しておきたい。 いつもと違う写真メディアでの制作を通じて、視野を耕している感覚がある。そのスコープがしっかり磨かれると、世界を眺めるのがいっそう面白くなるのだろう。そう期待して、ゆっくり手を動かしつづける。 |
Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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