よく手紙のやり取りをするインド人男子がいる。本当に気の良いやつで、かれこれ3年の付き合いになる。 彼から、暑すぎて居住するムンバイ Mumbaiから逃げ出し、リゾート地ディウ Diuに来ているという知らせがあった。 「ああいいよねえ、ディウ、夕日が綺麗だった。」という話をしていると、 「ディウで何かおすすめある?」と聞かれた。 考えて思いついたのが、これ。「Siddi の村を訪ねる、っていうのは?」 わたしが一人でインドを旅していたのはもう2年前になる。 インドの北西部に位置するグジャラート州が気に入って、長めに滞在し、様々な都市を回っていた。 あれは、確かアフメダバッド Ahmedabad というガンディーのお膝元ともいうべき都市から、一転ポルトガル領土だったディウ に向かうバスの中でのこと。 すし詰めのバスでようやく座席をとってホッとしていたところに隣に座ってきた女性。席をつめてふと見ると、どう見てもアフリカ人の髪をしている。しかし服装は完全なるインド人。頭にサリーをかけていて、耳には金色のピアスをいくつ揺れており、鼻にもピアスをしている。 彼女の顔を盗み見て観察すればするほどわからなくなった。インド人にも肌の色が濃い人は多々いる。しかしここはグジャラート、周りに比べて彼女の肌は一段と黒かった。さらに彼女の顔は皺がおおく、70歳手前ほどに見えたことも、さらに私を混乱させた。背中はしゃんとして、黒い髪も残っていたで、きっとそこまで年老いてはいなかったのだろう。しかし暗いバスの中で顔に刻まれた皺をみると彼女は苦労して年を重ねてきたように見えた。 少し時間がたってからふいに目が合った彼女の方から、つたない英語でどこから来たの、と声をかけてもらえた。あまり言葉での情報交換ができたわけではなかったけれども、バスに乗っている30分ほどのあいだ、なんとなく心地の良いコミュニケーションができた。 彼女はバスを降りる前に、初対面でバスですこし話しただけのわたしを家に招いてくれた。わたしはすこし逡巡して、でもにっこり笑いながら首を振った。彼女が本気だったのかわからなかったし、行き先ももう定まっていた。それと、きっとすこし億劫だった。バスが出発してから、もっと話したかったな、とさみしい思いに襲われてはじめて気づいた。 わたしはこの時知らなかったのだが、アフリカに先祖のルーツをもつインド人がいる。このグジャラート州に見られるアフリカ系インド人は、Siddi または Habshi と呼ばれる。詳細に言うと、彼ら自身は自分たちをHabshiとよび、その他にインド人にはSiddiと呼ばれている。大半の人口はイスラム教徒だ。Siddiの人々の現在の人口は、数万人ほど。グジャラート州やインド南西・南東部に分布している(参照)。Siddiの民俗学的要素については、日本語でかかれたこのフィールドワークの報告に詳しい。 Habshiという呼称があるのは、アビシニア出身者だから。アビシニアとは、現在のエチオピアである。もともと語源はアラビア語だから、彼らがムスリムでかつエチオピア出身というアイデンティティを保っていることを表す呼称だとわたしは推測している。 しかし、なんか皮肉なのはアビシニアとは、ヨーロッパやアラブ諸国からのエチオピアの呼び名であることである。客観的な呼び名を、今は主観的な呼び名に使っているわけだ。 この経験を思いだしたので、友人に進めたわけだが、しかしわたしは直接村に行ったわけではないので、具体的な場所の名前がわからない。いろいろ調べていたら、Kethaki Shethという写真家が5年かけてSiddiを追いかけて撮った作品行き当たった。Siddiの小さな村の日常。Jumbur という場所らしい。 アフリカとインドは、予想以上に近い。物理距離だけのことを言っているのではない。わたしがインドのバンガロールからケニア・ナイロビまで飛行機を予約した時は、片道2万円ほどだった。デリーからエチオピアまで1万円台の航空券もあった気がする。(その選択肢を捨てたわたしは悔しくて、あとでエイプリルフールのネタにした。こういう格安券があったので日本に帰らず行き先を変更します、と。) また、アフリカのいろいろな場所にインド系移民が住んでいる。ケニア・南アフリカ・モーリシャスなどには各地域に10万人以上だ。スパイス・アイランドという別名をもつタンザニアのザンジバル島でも、インド系移民が交易や金融業などにより裕福な家庭を築いている。(詳しくはこちら、当事者に生活の様子をインタビューした部分が興味深い。) Siddiのルーツは奴隷としてインドに連れてこられたことが大きいようだけれど、インドとアフリカの近さとインドの西側にアフロインディアンの人口が多いことから考えるに、自分たちで移動してきて住み着いた人もいるのではないかと考えている。 わたしは、世界が繋がっているなあとしみじみ感じるのが好きだ。こういうことが世界中どこでも見られるから、「アフリカに住んでいるのはこういう容姿でこういう文化のアフリカ人」、「インドに住んでいるのはこういう容姿でこういう文化のインド人」という想像の産物は全然意味をなさない。 いろいろ調べた最後に、なんの大きなドラマもない、ただインド系のお母さんとアフリカ系のお父さんの間に生まれた女の子が英語で撮影者と会話するようすを移した40分の動画、とても面白く最後まで見てしまった。 アイデンティティの話、自分の生活のこと、そして撮影者に酸っぱい味のする葉っぱを食べるよう勧めたり。彼女の話す耳さわりの良いインドなまりの英語と、アフリカ人を連想させるぱっと広がる大きな笑顔と、周りの人たちのインタビューへの静かな好奇心が素敵だった。 わたしも、いつか行ってみたい、あの時あの女性が招待してくれた村へ。
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Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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