紫雲の海が美しい。
群青や薄水色、橘色や薄紅色が飛び交ううろこ雲。 そこに薄く伸ばした綿の花のように、薄紫色がかかっている。このようにたとえば色の名前を知ることで、より多くの光のつぶが世界を鮮やかに映し出し、より美しく詩的な世界に住することができる。 頭の中で風景の立方体を切り取り、古典文学の抜粋に当てはめながら、印象派の絵画の色調に移し替えながら咀嚼をする。 そういう世界だから、正気を保つことができる。つらいことが起きようとも回転してゆく景色の中に美しさの片鱗を見つけることができるから、生きていよう、と思う気持ちがわいてくる。 まっとうに、ただしく、自分をいたわりひとに優しいことをしたいと思うことができる。 そんな世界で生きている。 日常をたくさんのうつくしい物語で埋め尽くす、そうやって生き延びてきた。 I do not use 'fantasy' in the ordinary sense of the word, with its popular connotations of whimsy, eccentricity, or triviality, but as another name for that world of imagination which is fuelled by desire and which provides us with an alternative world where we can continue our longstanding quarrel with reality. -Indian Identity by Sudhir Kakar
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Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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