人付き合いが苦手な子供だったから、本を貪るように読んだ。ファンタジーの中で生きていた。そうやって、わたしは文字と物語と本と、仲良くなった。
大学時代いろいろなアルバイトや課外活動をつまみ食いした中で自分にできることをさんざん探した結果が、読書で培った語彙を使って「書く」という行為だった。 写真を撮り続ける一方で、わたしは書くことが好きだ。言葉を紡ぐという快感を感じつつ人々に有益な情報を伝えることができる、そういうやり甲斐をもって生きたいと思っているが、目下「書き散らかして」いる。 このインターネットの広まった世界で、自分の言葉で思いを語りかけることができるというのは、素晴らしい。しかしそれには書く力と、書き続ける体力と、多くの人に見つけてもらう戦略が必要だ。 これまでの経験から、見方と立場を変えれば正義の尺度は変わるということ、二元論は足元を危うくするが正解を持たず考え続けるにはかなりの体力が要るということ、様々な世界を見るというのは自分の窮地を救ってくれるということを提示したい。見えないけど確かに存在する枠組みや、周りの人の目にがんがらじめになっている人たちに、せっかく生きているなら自分も含めてなるべく幸せになる人が増えるように生きようよ、と叫びたい。 わたしはまだまだ発信が下手で仕方がないし、こそばゆい思いが手を止める。それでも蓄積されたものは減らないと思うから、少しずつできることをしてゆこう。
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Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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