これは、Don’t date a girl who travelsという、フィリピン人サーファーの女性が書いたブログ記事の日本語訳だ。これは、旅が好きな女性が等身大の自分を書いた詩的な文章で、自分にしては珍しく何度か読み返した。これまでに30以上の言語に訳されて、インターネット上で広まったが、日本語訳はほとんどなかった。 この原文の意味を感じることができれば、きっと共感する人も多いだろうに...そう思ったので訳してみることにした。自分が英文を読んだ時の感覚としっくりくる日本語に。言葉を舌にのせたときの感覚や、リズムを重視したので、英語と日本語の意味に少々の相違は生じている。作者の言葉を味わいたかったら、原文が一番。よかったらこれをきっかけに原文も読んでみてください。 --------------*---------------------*--------------*---------------------*--------------*--------------- 「旅する女の子とは恋愛しないで」 "Don’t date a girl who travels" (Originally written by Adi Zarsadias) 日に灼けた、クシャクシャの髪をまとめないままにした女の子。肌は今や元の色とは程遠く、しかし美しい小麦肌ですらもない。肌のあちこちには重なった日焼けの線、傷、虫さされ。でもその一つ一つの傷跡に、彼女は素敵なエピソードを持っている。 旅する女の子とは恋愛しないで。喜ばせるのが難しいんだから。ただのディナーと映画のデートなんて彼女の生気を奪うだけ。その子の心は新しい経験と冒険を欲しがっている。新車とお高い時計がどうしたっていうの。モノの自慢を聞くくらいなら、彼女はロッククライミングやスカイダイビングをするでしょう。 旅する女の子とは恋愛しないで。航空券のセールがあれば毎回、予約をせがんでうるさいだろうから。その子は街のクラブに繰り出しはしないし、Aviciiのライブに100ドル払ったりもしない。クラブで過ごす週末に使うお金があれば、それよりずっとずっとワクワクする、どこか別の場所での一週間が過ごせると知っているから。 多分、その女の子は決まった職には付かないでしょう。もしくは多分、仕事を辞めることを夢見ている。他の人の夢のために頑張り続けるなんて、彼女のしたいことじゃない。彼女には自分自身の夢があり、それに向かって進んでいる。彼女はフリーランサー。デザインやライティング、写真なんかのクリエイティブさと想像力が必要な仕事でお金を稼ぐ。あなたのつまらない仕事の愚痴で彼女の時間を無駄にしないであげて。 旅する女の子とは恋愛しないで。きっとその子は大学の学位を投げ打って、全く進路を変えてしまった。彼女は今ダイビングインストラクターやヨガ講師をしている。次にいつ収入が入るか定かじゃないけれど、ロボットみたいに一日中働くことなんてせずに、外の世界に出て行く。生きていると必ず出会うものをそのまま受け入れ、そしてあなたにも、同じ生き方をしてほしいと挑むんだから。 旅する女の子とは恋愛しないで。その子の選んだ人生は、先の見えないものだから。彼女には生き方の計画や固定の住所なんてない。流れに身を任せ、心に従うのが彼女の人生。自分で刻むビートに合わせて彼女は踊る。腕時計なんてつけないで、太陽と月が支配する生活を送る。波が呼んでいる時は、生活の全ては止まり、他のことを全部忘れてしまう。でも彼女はもう、サーフィンが人生で一番大切なことじゃないってことは知っている。 旅する女の子とは恋愛しないで。自分の意見ははっきり口にだして言うんだから。あなたのご両親や友人に自分を印象付けようなんて絶対しない。人に敬意をはらうということは知っているけれど、地球規模の問題や社会的責任についての議論に臆したりしない。 その女の子はあなたなんて必要としない。手を借りなくても、テントの張り方やサーフボードのフィンの取り付け方は知っている。料理をするのが上手だから、食事代を払ってもらう必要もない。完全に自立している彼女にとっては、あなたが一緒に旅行しようがしまいが気にもならない。目的地についた時に無事を知らせる一報を入れるのだって忘れるでしょう。彼女は今その場所を生きるのに忙しいんだから。まだ見知っていない人と話をしなきゃ。彼女は世界中の、似た意識を持った面白い人々と知り合い、熱意や夢を分かち合うでしょう。あなたには飽きてしまうでしょうね。 旅する女の子とは恋愛しないでね、あなたが彼女のスタイルについていけない限りは。そして、もし予定外にそんな女の子に恋してしまったら、その子をずっとそばに置こうとなんてしては駄目。彼女の好きにさせてあげて。 --------------*---------------------*--------------*---------------------*--------------*--------------- わたしは、女性であれ男性であれ、こんな生き方をしている人に惹かれる。考え無しなんじゃない、様々なものを見て考えて選んだ道筋。それをしっかり持っている人の周りには、自由のつむじ風が楽しげに吹き荒れている様子が見える。わたしも、そうありたい。そんな理想に近づけるよう、生きたい。 それからもちろん、ここに描かれている女の子のように好奇心を満たすことにいつも忙しくても、それでもどうしても一緒に居たいと思えるパートナーに皆が出会えるといいなと思う。
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熊本に来た。 ちょうど仕事が煮詰まっていたり、友人がわたしの所為で失恋したりで心が辛かったので、これ幸いと大阪から逃げ出した。ちなみに、わたしの所為といえどもわたしが盗ったんではない。 気づかぬうちに、活力、とでも言うべき自分の動力の容量がすり減っていて、急にガクンと前に進めなくなる。そうなると、何も考えずとにかくどこか別の所へ動かなければならない。なるべく遠く。 ぎりぎりまで天草に行こうかと思っていたけれど、車の免許を持っていないことが痛い。大阪在住だと、免許が無くてもなんとなく今まで生きてこれてしまった。そう言うわけがあって、まだアクセスしやすいだろうと阿蘇に行くことにし、航空券をとった。 最近、思う。なぜこんなに満たされないのか、と。恵まれた環境に生まれ落ちて、好きなことして生きてるはずなのに、わたしのやりたいことは散らばりすぎていてしょうがない。ひとつひとつ拾い集めていたら、実はその周りにあった何か途方もないもの見逃してるんじゃないかと気になり始める。 ただ欲張りなのかもしれない。でも、何かこの休まらない気持ち(時に不安、時に怒り時に罪悪感)をかかえて生きていると、生を真正面から享受しきれない。そもそも生きるという行為について受動的なわたしは、誰のために生きるでもなく、「生きてるという事実はもうどうしようもないんだし、どうせなら楽しいほうがいいね」というあてこすりの言い訳をして現在まで来ている。 すごいなと思う人はたくさんいる。新たな概念を生み出しぼんやりとしていた思考の片隅に光を当てる研究者やアーティスト。優しくて優秀な起業家。世界的に力をもつ機関のパワーバランスの荒波の中で勝ち抜いている人々。自分のただしいと思う活動を地道に小さく続けている人々。もっと、もっとたくさんいる。これら全ての種類の人たちが直接目にできる範囲にいる。始めようと思えば、なんだってすぐにできそうな気がしてくる。なのに、いろいろなものに愛着が湧きやすいわたしの心は、それと同時に疲れやすい。だんだん何者にもなれない気がしてくる。なれなくてもいいね、と暗がりに腰をかけようとする。 安住の地はどこにあるんだろうか、もしくは果たして存在するんだろうか。存在していない場合は、作らなければならないんだろうか。わたし、が??? それがもし他人の領域を狭めてまでして作るものであるならば、それを必要としていることに苦痛を感じはしまいか。他の人よりは、痛みにはもう慣れていると、無鉄砲にも思う。そんなことを言っておいて、もし今バスジャックにあったらわたしは他人の身代わりになるだろうか。 ふわふわと思考を漂っているうちに、ふと光が目を刺した。 飛行機から見えた夕方の空が、これまで飛行機から見た景色で一番美しかった。青、「つきぬけるような」表現はこういう色を表すんだなあ、っていう青のしたには、黄緑、黄色、オレンジ、種、赤、紅、紫、群青ってつづいて、そこから雲海、雲海からほのかに見える山頂。 生きていてよかったと思った自分がいた。こうやってまた、生への欲望が湧いてくる。 阿蘇は、移住者が多い。都会の人がいろんな理由で移住してくる。定年後移住、放射能を気にして、オーガニックライフに憧れて。雄大な自然と、同時にそういう移住者の商売っ気のうすい店が多い。意識的にその店々に近しい雰囲気を着込んで、ぶらぶらと覗き歩いてなにげない会話をする。手作りの、自給自足の「豊かな」生活はもちろん素晴らしい。とても好ましい。 そうは思うけれど、一方自分の幸せだけでは満足できないのが自分の性みたいだ。自分の満足のために一つ一つ手間ひまかけて自分の好きなものだけで世界を満たすことができないほどには世界の色々な所で困っている人と知り合ってしまった。わたしは物事を知りすぎたし、知ってあえて遮断できるほどの割り切る勇気もない。お金は誰かの時間をいただいて物事を効率的にすすめる手段。だから、ある程度 "earn to donate" なお金の稼ぎ方が自分には合ってると思うし、広く世間、世界に作用するような忙しい都会人であれるように仕向けている自分がいる。ただ、やっぱりその生活は疲れるのだ。 美しいものだけみて美味しいものだけ食べて、写真を撮って過ごす時間。自分が闘い、時に空回る場所から自分を引き剥がす作業。それがこの小旅行である。 広い空の下で思い切り空気を吸い込み、名水を飲み、自分のなかの汚いものを追い出すことに注力する。決して時間に急かされないように注意しながら。 欲張りな好奇心が熊本城を見てみたいと囁くも、怠惰な身体はもう、阿蘇に沈没するつもりを決め込んでいる。 |
Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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