自分で「感受性の知覚過敏」だとか「共感力過敏」と呼んでいる性質に名前があった。Highly sensitive person (HSP)というらしい。
アメリカの心理学者が提唱した概念で、Wikipediaから引っ張ってきたところによると、処理の深さ(Depth of processing)、[他の人と比較して容易に起きる]過度な興奮(Over aroused)、感情的反応性・高度な共感性(Emotional reactivity and high empathy)、些細な刺激に対する感受性(Sensitivity to subtle stimuli)をもつ人を指す。HSPを日本語にすると、「高度に繊細な人」「感受性がとても強い人」という意味だから、自分で便宜上使っている形容の仕方はあながち間違っていなかった。ウェブサイトをひとつのぞいてみたら、(占い程度の参考でしかないとは思いつつも) だいたい当たっているような気がする。人口の15-20%もが保有する性質だ、と提唱者 Elaine Aron氏は述べている。 これまで、自分で言うとおこがましく響いたり、自分の酔っていると思われるのではないかと思って書き控えてきた。それにも増して、自分で自分のことを「繊細」だと表すなんて、ものすごく恥ずかしい。口にはとても出せない。しかし書くことで何か誰かの役に立つこともある、と思い直して、重い腰をあげてみることにする。 最近人に言われて腑に落ちたのが、「防御力がものすごく低いよね」という言葉である。一番言い得て妙な表現だと思っている。 とにかく他人の感情に共鳴する。必要以上にまで感情移入し過ぎるので、例えば映画を一本みるだけでとても体力を消耗する。まだ予定が残っている時間帯に気軽にみられるのは、CGエフェクト技術はすごいけれどもストーリーは単純なヒーロー映画くらいだ。 また他人の感情に影響されるので、ストレス解消のための愚痴を聞かされるとこちらが不安定になり、たまらなくなって出奔する。それで友人を何度失ったか。きっと傷つけてしまっているだろう。相手には悪気なんてないのはわかっている。ただ話してスッキリしたかったんだろう。時折思い出しては申し訳なく思う。 それに、カフェインが効き過ぎるくらい効く。基本的に怠惰なので、これには助かっている。効きすぎた時には、ウイスキーを上から流し込むとバランスが取れるので、コーヒー豆の横にはいつも一瓶常備するようにしている。 自分がそんな性質だから、自分が相談したいときには足踏みしてしまう。他人に自分の重暗いわだかまりを抱えて疲れてほしくない。しかし年を重ねるごとに、人の話を聞いたところで自分の感情になんの影響も感じない人が数多くいると気づいた。だから、自分と真逆の合理的で楽観的な人に出会うことができたら、話を聞いてもらうことが多い。そういう人とは、末永く仲良くなりやすい。 感じているイメージを伝えきれないだの、自分と他人の境界線をひくのが下手だの、この辺りをきちんと言語化、イメージ化できればもう少し理解し合えるのだろう。しかし、なまじ時間がかかる行為だ。歩みを止めなければ、ひとつひとつできることが増える、と信じるしかない。
0 Comments
|
Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
Categories |