ドバイで撮った写真を、小さな写真展に出した。
“世界の日常” という文脈をつくり、ほか6点と組み合わせて出したうちの一枚だった。 国民のほとんどがイスラム教徒であることに対して、住人の 9 割が外国人であるドバイ。 様々な背景の人が様々な目的を持ち、折り合いをつけて共存する街。 隅々まで完璧な青空と細かい柔らかい白浜、世界的なリゾートとしても名高い地だ。 そこに立つ黒いベールで全身を覆った人々はわたしには異質に見える。 このアバヤ姿の女性たちには実際、この風景はどう見えているのだろう。 作品をみた人からは様々な反応があった。 「どこの国?綺麗な青だね!」 「色の対比がいいね。」 「ハダカで平気な人と全身を覆うことが身だしなみの人が両方いて、面白い」 「女性の抑圧を感じるな。」 綺麗な風景が背景だからこそよけいに女性の抑圧を感じる、という意見を語ってくれたのは、 異国から日本に嫁ぎ、美しい娘を育てた美しい母親だった。 彼女はいつも柔和な微笑みをたたえ、雰囲気をなごませるような振る舞いをかかさない人で、 それゆえ強い意見をことばにした彼女を見て、よく知った人も「意外だ」という顔をした。 写真展が終わって数ヶ月して、彼女はわたしたちのコミュニティに姿を見せなくなった。 感染症の折、母国に帰れず風習も言語も違う国で家庭以外にほとんど出ていく場所がなく、疲れてしまったようだった。 わたしは、いつも穏やかに笑う姿の後ろにあった苦しみに、まったく気づくことができなかった。 この写真を見ると、いつも彼女のことを思い出す。 写真一枚を見る視点にも、その視点の持ち主の経験や感情や思考が綿密に絡み合って現れる。 あなたにこの写真はどう見えるだろうか、その感触の裏に、その解釈の根底に、 どんな記憶があるだろうか。わたしはそれを知りたいと思う。 直接、無遠慮に、他人の心の柔らかいところを暴き立てるようなことはどうしてもできない。なんらかのフォーマットやパッケージが要る。それで鏡にうつった相手を横から見るようにして、ひとを理解しようとしている。 アンビバレントで正解がない、変容の最中にある世界において、何を誰に表出していいのか分からない。 偏っていると思われるのもダサイと思われるのも嫌で、なんとなく一般的にいいとされるもので自分を囲む。 ジェンダーというトピックは、とくにそういう不安を内包するものに見える。 分かち合いは無難にやり過ごすいとなみの対極にのみあるのかもしれない、 そういう希望を抱いて、わたしは一枚の写真をまた人前に差し出す。
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Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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