とある過疎地の島に自ら移住して、生活者の目線からその島の人々と暮らしの風景を切り取り続けている写真家を知っている。彼も「豊かさとは何か」を考え続けているらしい。
あるとき彼の写真展を訪ねた。説明がなくともシチュエーションが分かりやすい写真である一方、光がとても美しかった。彼の頭の中には現実がこう写っているんだったら、私もその世界の中で生きたいと思った。 わたしはギャラリーを辞す際、写真家氏に「あ、じゃあ...今後のご成功をお祈りしております」と何の気なしに挨拶した。なんの意図もない、挨拶のつもりだった。 そうすると彼は 「...みんなそうやっていうんだよね。成功って何?これ(写真の企画展をしているギャラリーで展示ができる)って成功じゃないのかな」 と言う。 はっとした。 芸術やものづくりを生業としていきたい人が誰しも直面すること。自分の作りたい作品だけで食べていこうとするべきか否か。一本道は、厳しい。 この写真家は写真を生活の糧とはしていない。第一次産業や観光業に関わる様々な仕事に年中従事し、その一方で写真家として自分の生きる島を記録している。しかし彼は、自分の立ち位置を「成功」と捉えている。 写真を撮り、それを売ったお金だけで食べていけることだけが成功だろうか。 自分でも、何で生活を成り立たせていくのが一番幸せなんだろうか、とよく考える。 芸大の絵画専攻出身の友人が複数人いるが、中には美術教師をしている者が多い。教えることに喜びを見出している人もいる一方、教師は腰掛けのつもりで、漫画を書いて投稿し続けている人もいる。映画製作を大学で専攻した別の友人は、もやもやしながら、商業用のイベントのダイジェスト映像をかなりのハイクオリティで作り続けている。 わたしを始め、少なくない数の人たちは、迷うことなく一本道を進めるほど、器用にはできていない。自分が純粋にいいと思って作り出したものが、思うように人に受け入れられない瞬間は大きな試練だろう。それを意図してかせずか、避けて生きている人も多い。 正解なんてこの世にないのだし、自分の好きにすればいいのだ。この現代日本で野たれ死んだり滅多にしない。 ただやはり、ものの見方の大きな潮流というのはあって、そこに目をくらませることなく自分の足で立ち続ける人たちが、芸術に携わる者の中の「成功者」なのだと思う。
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Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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