家に生き物の気配があるというのは、いい。
洗濯物を干して窓の外を見ると、ポツンと落ちた白ツツジの側に、蜥蜴が佇んでいる。 美しい。 そう思ってカメラを手にとる。窓をそっと開けると、網戸のヘリにはまだ小さい蟷螂がいた。 ほら、外にお行きよ、厳しいけれど豊かなのはそっちだよ。 蜥蜴は、こちらを伺いながらも動く気配はない。 一歩、外に出て歩み寄る。 目を合わせて、しかし敵意を見せないようにゆっくりしゃがむと予期せぬ方向から音がした。 振り向くと、湿った溝の落ち葉とゼニゴケの間に沢蟹がいて、怯んだ様子を見せている。 ごめんよ、すぐに立ち去るから。この美しい場面はどうしても押さえておきたいの。 そのうち蜥蜴は体をくねらせ、去った。 雨の次の朝、今日はいい日だ。
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数ヶ月メキシコにいた。ユカタン半島の日差しの中で、自分が今まで撮ってこなかった美術作品としての存在を意識した写真を制作する日々。二次元出力を考えつくしながら三次元の中を歩く時間。
写真は、撮れば撮るほどわからなくなる。知れば知るほどわからなくなる。美術作品としての写真も、ドキュメンタリーとしての写真も、どちらも好きだからどこに着地したらいいのかもわからない。目的ありきだったらうまく行くことが多いのだけれど。だから今のところ他人のプロジェクトに参画する方が多いし、うまく振る舞える。 わたしは商業写真にも、単なる人助けにも取り組むのは好きで、余地のないディレクションをされて従わなくてはいけなくても、それはそれで楽しめる。要はゴールが決まっていたら、そこにどう効率よく上手に着地するかに頭を使うことに慣れているし、また得意なんだと思う。 それは悪いことではないし、生きていく上では助かるのだけれど。 自分の文体を硬いままにしておくべきか、noteやCakesの中央値のような読みやすさを目指すか、考えている。
近代文学を多感な時期に読みすぎたかもしれない。友人たちによると、そもそも会話の中の語彙も古い、らしい。ただ、それがいけないことだとは思わないし、なにしろ、書いていて楽なのだ。 広く届く文章を書くには、中学生にもわかるように書くとちょうどいい、などと聞いたことがある。 結局のところ、どういう興味のどういう層に届けたいか、によるのだろう。だから何か頼まれて書き物をするとき、大学・大学院での書き物をするときにはその場にふさわしい書き方を心がける。対面でコミュニケーションをとる場合の作法と同じだ。だけど、好き勝手つづっているブログとなると、そのあたりに意識的になりきれない。 ひとつ思いつく改善方法として、文体が心地いいと思う書き手の文章にひたってみる、というものがある。 もともと語彙が肩肘張っているのは、近代文学の読みすぎかと思う、と上に書いた。もしくは、単に性格が偏屈なのだと思う。 それに、実は英語の翻訳をすることがよくあるのだけれど、英→日翻訳の時に読んだ文章にクセがあったら、そのクセを自分の文体に取り入れてしまって、それがそのまま次に行う日→英翻訳のときに出てしまうことがある。 ちなみにこのブログ記事はnoteでデザイン・企画系の人たちの記事を、リンクが上がってくるままに辿って行って、10本ほど読んでから書いている。いつもよりは熟語が減っているのではないか、というのが自分自身での印象だ。 次は俵万智氏、もしくは森見登美彦氏の本でも読んでみて、その文体が乗り移ってくれるのか実験してみようか。 自分で「感受性の知覚過敏」だとか「共感力過敏」と呼んでいる性質に名前があった。Highly sensitive person (HSP)というらしい。
アメリカの心理学者が提唱した概念で、Wikipediaから引っ張ってきたところによると、処理の深さ(Depth of processing)、[他の人と比較して容易に起きる]過度な興奮(Over aroused)、感情的反応性・高度な共感性(Emotional reactivity and high empathy)、些細な刺激に対する感受性(Sensitivity to subtle stimuli)をもつ人を指す。HSPを日本語にすると、「高度に繊細な人」「感受性がとても強い人」という意味だから、自分で便宜上使っている形容の仕方はあながち間違っていなかった。ウェブサイトをひとつのぞいてみたら、(占い程度の参考でしかないとは思いつつも) だいたい当たっているような気がする。人口の15-20%もが保有する性質だ、と提唱者 Elaine Aron氏は述べている。 これまで、自分で言うとおこがましく響いたり、自分の酔っていると思われるのではないかと思って書き控えてきた。それにも増して、自分で自分のことを「繊細」だと表すなんて、ものすごく恥ずかしい。口にはとても出せない。しかし書くことで何か誰かの役に立つこともある、と思い直して、重い腰をあげてみることにする。 最近人に言われて腑に落ちたのが、「防御力がものすごく低いよね」という言葉である。一番言い得て妙な表現だと思っている。 とにかく他人の感情に共鳴する。必要以上にまで感情移入し過ぎるので、例えば映画を一本みるだけでとても体力を消耗する。まだ予定が残っている時間帯に気軽にみられるのは、CGエフェクト技術はすごいけれどもストーリーは単純なヒーロー映画くらいだ。 また他人の感情に影響されるので、ストレス解消のための愚痴を聞かされるとこちらが不安定になり、たまらなくなって出奔する。それで友人を何度失ったか。きっと傷つけてしまっているだろう。相手には悪気なんてないのはわかっている。ただ話してスッキリしたかったんだろう。時折思い出しては申し訳なく思う。 それに、カフェインが効き過ぎるくらい効く。基本的に怠惰なので、これには助かっている。効きすぎた時には、ウイスキーを上から流し込むとバランスが取れるので、コーヒー豆の横にはいつも一瓶常備するようにしている。 自分がそんな性質だから、自分が相談したいときには足踏みしてしまう。他人に自分の重暗いわだかまりを抱えて疲れてほしくない。しかし年を重ねるごとに、人の話を聞いたところで自分の感情になんの影響も感じない人が数多くいると気づいた。だから、自分と真逆の合理的で楽観的な人に出会うことができたら、話を聞いてもらうことが多い。そういう人とは、末永く仲良くなりやすい。 感じているイメージを伝えきれないだの、自分と他人の境界線をひくのが下手だの、この辺りをきちんと言語化、イメージ化できればもう少し理解し合えるのだろう。しかし、なまじ時間がかかる行為だ。歩みを止めなければ、ひとつひとつできることが増える、と信じるしかない。 昨日は「世界と恋するおしごと」という本を読んだ。国際社会への貢献に興味があって、いまから進路を決めていくような世代に向けて書かれた本だ。様々な職から国際貢献のために働く日本人のインタビューを通して、いろんな分野からできることがあるんだよ、と易しく書かれている。 個人的には、回り道をしてその職に行き着いた人が多く、なんというか、人生談として安心感をもらえる内容だった。国際協力や開発分野には少なからずの興味を持っている。それゆえ英国大学院にまで進んだ。しかし同級生のように履歴書に穴を開けず次々と機関を渡り歩いてゆく決意も自信もない。ここでは人類学の方法論を学んでいる。間違いなく人類学の思索の枠組みは人生を通じて役に立つと確信しているが、しかしそれをどう役に立てるかのこだわりや人生に置ける決定的な出会いが私にはない。いや、むしろ選択肢が多すぎて逡巡している。写真は私にとって大事な他者とのコミュニケーション手段だ。それと同時に自分との対話の手段でもある。国際開発を志すものにとってこのツールはかなりイレギュラーであろう。本には指針はなかった。ただ、少し自分の回り道を肯定された気がしただけだが、それはじんわり心に効いている。 最近は自分で事業 (と大声では言えないくらいには、ちまちまとしている) をするのが楽しくて、だからこそ民間企業のできる事についての言及を特に興味深く読んだ。人間の行動を根本から変えるのは、法などの縛りではなく自発的な消費行動だと思う。 そして、この本を大学時代または高校時代に読んでいたら、私の進路は変わっていたのだろうか、とふと想像を巡らせた。 私は、進路を偏差値と得意分野と塾の指導で適当に決めたので、専攻のクラスで馴染めず、学問も身に入らず、なかなかにふてぶてしい学生だった。誰も幸せにならないので暗黒の大学時代初期についてはこれ以上は言わない。しかし、誰かの役にたつならば、いつか自分の狭かった視野とそこから抜け出した所にあった生きやすい世界についてしっかり書いてみたい。 進路選択について思い返すと、そもそも第一希望の大学について真剣にしらべなかった。大学の理念・校風・シラバス・単位・就職先・留学提携先・図書数やデータベース数・教授陣について調べるべきだったなんて、思いもよらなかった。今思うと阿呆極まりない。そして、私が大学に入って、取得単位を初めて数えたのは3年生の頃(しかも手引きをなくしていたので同級生に数えてもらった)だったから、必修の単位を取り終えたのが4年生の最後だった。 まだ間に合う人がこれを読む機会があるならば、きちんと単位取得の計画を立てながら授業を選択し、いますぐ社会人になってからの進路について真剣に考え始め、少しでも興味のある分野の情報を集め、人に連絡をとって会っておいてほしい。そして大学院なぞ目指す可能性が塵ほどでもあるのなら進路相談にのってくれ、推薦状を書いてくれる大学の指導教員始め教授の方々とは絶対に仲良くしておいてほしい。単位は、最小限+自分の体力の持つ範囲を素晴らしい成績で取り終えたほうがあとあと使い勝手がいい。大量の単位を合格すれすれで取っていたら、後で平均値を晒されて泣くことになる。気になる授業は聴講するだけでも素晴らしい経験になる。 こうやって思い返すと、「あのときああしておけば」と思うことばかりだ。 大人がいろいろ後悔してるのを聞いて育ったので、自分は後悔すまいとおもって勉強してきたはずなのに、気づけば通った跡には「ああしておけばよかった」ばかりである。 『20歳の時に知っておきたかったこと』という本が私が21歳の頃に出たが、私はこれを16歳くらいで読みたかった。まったく自分の頭を使わずに生きてきた子供だったから。直面した課題に自分の頭を使って取り組むようになったのは、本当に課題に直面するようになった後だったので、ちょっとでも予備知識があったならもう少し心の余裕をもってうまくやれたんじゃないかと思ってしまう。 それで、肝心のこの本を大学時代または高校時代に読んでいたら、私の進路は変わっていたのだろうか、ということについて話すと、答えは、「多分誤差程度には変わったんじゃない」である。題名のキャッチーさは学生時代の私も手に取りそうであるから、読みはするだろうがおそらく読んでも今の自分に対してほど響かなかっただろう 。大学に入って、いきなり前が見えなくなってもがいた結果としてはみ出したのが外国だった。そして、一人で40カ国以上流浪してきて色んな人生や思想や生活を見てきたからこそ、そちらに興味が向いたのだから。 結果としてSteve Jobsの言ったことは私においても正しいのだ。人生は点と点との結びつきの集合で、どんな点同士が結びつくのかは後から振り返ってみなければわからない。 いろいろ細かく「ああしておけばよかった」と思うことはあるが、俯瞰的に見て私の人生はいま現在そこそこ面白い。好い人ばかり傍にいる。だから色々ヘマして恥は感じこそすれ、これまで辿ってきた道すじに後悔はない。 そう思える程度までに幸せな生活を送っている。 パウロ・コエーリョ「アルケミスト―夢を旅した少年」は私にとって特別な一冊だ。物語は知っていたものの、尊敬する人に本をいただいて全編を通して読んでから、物語のもつ深い示唆に気づき何度も読み返す本となった。普段私は同じ本を読み返すことは滅多にないが、この本は、何度読んでもまた新しい感銘を与えてくれる。 そんな内的経験をしたから、ボロボロになったこの一冊を本当に大切に思っているし、表紙を見るだけで本をもらってからの経緯を思い起こすほどだ。
ストーリーは、スペインの羊飼いサンチャゴの冒険譚だ。好奇心が旺盛で本を読むのが好きな少年サンチャゴは、他人に不相応だと言われようとも、様々な所に旅ができる羊飼いという仕事を気に入っている。ある日サンチャゴは夢をみて、そのお告げを信じ、羊を手放してエジプトのピラミッドまで宝を探す旅にでる… 世界中で読み継がれるものがたりには、人生を支える普遍的なメッセージがある。子供でも読めるように平易な文章で書かれた小説ながらも、その内容は普段は忘れがちな、しかし大切な人生の教訓を思い出させてくれる。出会いがあれば別れがあり、失うものがあれば得るものがある。偶然出会う人を信じてみる。すでにあるものを工夫して苦難を乗り越える。 人生というのはそういう旅の繰り返しだ。 2017年後半から10ヶ月イギリスの大学院修士過程で人類学を勉強していた。勉学の内容については今後細かく書いていくことにして、ここでは大まかに生活を振り返ってみたい。
とにかく一番辛かったのは前学期終わりの1月ごろ。寒い、暗い、雨が多い、生活に慣れない。レポートが思うように仕上がらない。周りの学生がみんな余裕でできているように見えることが、できない。学部時代に留学しておくべきだったのかもしれない。そういう選択肢が自分にあれば、と何度悔やんだことか。ちなみに夏が近づくにつれて精神状態は回復に向かった。南部イギリスの夏は美しい。芝生の上で寝転がって読書をするのがとても心地よかった 。そうしていると、一度カモメにフンを落とされた。 色々勉強会やイベントや飲み会に誘われることも多かったけれど、あまり参加できなかった。プログラムの課題すら満足にこなせない状況で、やりたいと思っていたことは本当に消化不良だ。色々な人の留学ブログをなんの気無しにこれまで読んできていたけれど、ずっとブログを書き続けながら就活もして、課題もしっかり仕上げて異国で生活している人たちってほんとうにすごい。どういう精神構造しているんだろうか。もしくはそこまで鉄人でなければ大学院留学なんてするべきではなかったのだろうか。 人類学は自分にとても合っていた。社会構造への丁寧な視点、通念化されている規範への懐疑的姿勢、言葉をつくして目に見えない概念をあらゆる角度から描き出そうという試み。これまでなんだか「モヤモヤする」と感じていたことが、人類学の知見を借りると少なからず言語化できる。第二言語で新しい学問を始めるのは本当にきつかったけれど、とりあえずこの一年は最初の大きな障壁で、これを越えてからいよいよ、探索の道のりは長く細く続いていくんだろうと思う、アウトプットがどう言う形になるんであれ。とにかく写真には意識的に反映させていきたい。 大学院という場で、「研究が本当に好きな人種というのが存在するのだ、研究者とはこういう人たちのことを言うのか」と目の当たりにした。そして自分は違うな、とよくわかった。10代までは「お勉強ができる人間」だったかもしれないけれど、でもそれは解答のない事象について考え続ける思考体力があることとイコールではない。自分には何ができるんだろう。まだまだ答えは出ない。 大学でのイベントごととしては: -イギリス全土の大学で教員ストライキが起き、案の定巻き込まれる。海外からの学生二倍学費払ったのだから、本気でお金を返して欲しい。 -インドのお祭りホーリーが構内で開催され、楽しそうに色粉を投げ合う人々を、横から眺めた。 -シリア人学生のチャリティディナーに参加する。インド人とパキスタン人が仲睦まじく戯れあっていて、イギリスらしさを感じた。 -民族誌的映像のワークショップに参加して初めて映像作品をつくった。映像は画像、画角、色などの写真に必要な技術以外の要素も多くてむずかしい。 -その他週ごとのセミナーやゲストを呼んでのレクチャーの数々をのぞく。そのうちいくつかは修論にも役立ったので、少しでも興味があるものはとりあえずのぞいてみていてよかった。 -大学で行われる毎月のデッサン会に通う。驚くべきことにちゃんとしたヌードデッサンで、モデルは学生。参加費2.5ポンド (400円)。ちなみにこの大学には芸術学部はないにもかかわらず、毎月多数の参加があった。ヨーロッパだから成立している現象だと思う。このデッサン会が私の癒しだった。 大学外のイベントごととしては: -メキシコを舞台にした映画Coco(リメンバーミー)をメキシコ人とコロンビア人と見に行く。ラテンアメリカっぽいネタが出てくるたびに彼らは大笑いし、周りの観客と私たち日本人はポカーンとしていた。 -ロンドンの美術館を回る。ロンドンの美術館では金曜日の夜にアーティストトークやピアノ演奏の中での絵画スケッチ会が行われていて素晴らしい。 -切り詰めた生活のおかげでウエストエンドのミュージカルを数回観に行くことができた。手が届く値段で世界に轟く名声をはなつミュージカルを観ることができてなんと幸運なのだろう。 喉元過ぎれば熱さ忘れるというが、しかしあの冬の苦悩は思い出すだけでもう二度と経験したくないと思う。もちろん学んだことは多い。 例えるならば、滝行のような1年弱だった。 人付き合いが苦手な子供だったから、本を貪るように読んだ。ファンタジーの中で生きていた。そうやって、わたしは文字と物語と本と、仲良くなった。
大学時代いろいろなアルバイトや課外活動をつまみ食いした中で自分にできることをさんざん探した結果が、読書で培った語彙を使って「書く」という行為だった。 写真を撮り続ける一方で、わたしは書くことが好きだ。言葉を紡ぐという快感を感じつつ人々に有益な情報を伝えることができる、そういうやり甲斐をもって生きたいと思っているが、目下「書き散らかして」いる。 このインターネットの広まった世界で、自分の言葉で思いを語りかけることができるというのは、素晴らしい。しかしそれには書く力と、書き続ける体力と、多くの人に見つけてもらう戦略が必要だ。 これまでの経験から、見方と立場を変えれば正義の尺度は変わるということ、二元論は足元を危うくするが正解を持たず考え続けるにはかなりの体力が要るということ、様々な世界を見るというのは自分の窮地を救ってくれるということを提示したい。見えないけど確かに存在する枠組みや、周りの人の目にがんがらじめになっている人たちに、せっかく生きているなら自分も含めてなるべく幸せになる人が増えるように生きようよ、と叫びたい。 わたしはまだまだ発信が下手で仕方がないし、こそばゆい思いが手を止める。それでも蓄積されたものは減らないと思うから、少しずつできることをしてゆこう。 メヘンディという、南インドの装飾文化が好きだ。これはヘナタトゥーとも呼ばれていて、こちらの名前を聞いたことがある人もいるかもしれない。ヘナという植物を原料にしたペーストを肌にのせると、そのペーストで肌が染まり、焦げ茶色の模様を描くことができる。インドやネパール、モロッコやタンザニアまで、広く女性のおしゃれ、お祭りや儀式の際の装飾として愛されている。1〜2週間新陳代謝で消えるまで色が持続するので、西洋でもインスタントタトゥーとして楽しむ人もいる。
わたしはインドに行った時に初めて見て、広場のメヘンディ・ワーラー(メヘンディ描きの職人)に描いてもらった。その後インド滞在中に雑貨屋で売っているヘナペーストの詰まったコーンを買って練習した。日本にいる今でも、ヘナペーストを作り、自分で肌に模様を描いたりする。 ストライキがあったせいで休んでる暇は本当はなかったイースター休暇。教授陣も講義のない間もオフィスアワーを持つという。もっと前に知りたかった。日本以外の国にいるとしょっちゅうだが、告知が直前であることが多い。しかしずいぶんと前に全てを計画してあったので旅を実行することにする。
出発は朝4時、しかし夜12時くらいに悪寒がし始める。しかし、見切り発車する。だましだましプラハを回ったあと、ポーランドへ移動。4日目アウシュビッツに行き体力を使い果たし、ダウン。美しいクラクフをほとんど回れずホテルを延長し、寝込む。しかし聖マリア教会だけでは這ってでも見にいく、と思っていたので夕方外出。荘厳、という言葉がふさわしい教会で、行ってよかった。 この旅では、ポーランドの友人宅でイースターを過ごすのが一番の目的であった。図らずともこの友人は医師、そしてご両親は薬剤師。風邪をひいた人間にとって最強の家族であった。抗生物質を投与され、回復。 わたしの一番古い外国人の友人(というかほとんど一番古い友人)がドイツ人である。彼女がわざわざワルシャワまで出向いてくれたので、再会を果たす。最後にあってから6年ぶりで驚愕した。この旅ではその他にも数人と再会することができた。拡張ではなく、すでに持っているものを維持するということが多くなってきて、そしてそちらの方が心地が良い。人生の第二フェーズだと感じる。 最後にアムステルダム。アムステルダムは自転車が多い、街の中心に信号が少ない。おしゃれサングラスの紳士もプリプリのお姉さんも自転車。おばあさんも自転車バッグを両側にぶら下げ、街を駆け巡る。 対照的にわたしは、もう移動がしんどい。あまり動かず、宿で勉強しながらその逃避のために仕事することに落ち着きを感じる。飽きたら近所のカフェに行く。なんのために旅しているのかわからなくなってきた。しかしとても気持ちの良い気候で、外で何もしないことが最高の贅沢というような日であった。実際アパートの扉を開けっ放しにして日光浴をしながらビールを飲んでいるお姉さんなど見かけると、地元民にとっても待ちわびた気候なのだと気づく。とくに名の知れた所へは出かけなかったので、ぼーっとするためにここまでわざわざ来たような結果だけれども、しかし幸福感に満ちた日であった。 わたしがアムステルダムにいると知ったインド・デリーでの知り合いが偶然出張できていると連絡をくれ、再会を果たす。インドの会社がわざわざ他国の都市で自社のセレモニーを毎年行うという慣習とその必要性に驚く。何はともあれ元気そうでよかった。 ところでアムステルダムといえば例の草。アムステルダムにいくと言ったら、会う人会う人に「吸うのか?」と聞かれるくらい名高い。(ちなみに吸っていない。親の言霊の呪縛が効いている。)歩きながら、むしろブライトンの方がこの匂いに出会う頻度が高くないか?と感じていたら、案の定、帰ってきた瞬間に濃厚な受動喫煙をしてしまう。ビールとあの草の匂いが混ざるときつい。夏になるとこれにも増して甲高い声で騒ぎ立てる若者が街に増えるのだろうか。 全体的に自分の身体的精神的な段階の変化を感じた2週間だった。 |
Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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