2017年後半から10ヶ月イギリスの大学院修士過程で人類学を勉強していた。勉学の内容については今後細かく書いていくことにして、ここでは大まかに生活を振り返ってみたい。
とにかく一番辛かったのは前学期終わりの1月ごろ。寒い、暗い、雨が多い、生活に慣れない。レポートが思うように仕上がらない。周りの学生がみんな余裕でできているように見えることが、できない。学部時代に留学しておくべきだったのかもしれない。そういう選択肢が自分にあれば、と何度悔やんだことか。ちなみに夏が近づくにつれて精神状態は回復に向かった。南部イギリスの夏は美しい。芝生の上で寝転がって読書をするのがとても心地よかった 。そうしていると、一度カモメにフンを落とされた。 色々勉強会やイベントや飲み会に誘われることも多かったけれど、あまり参加できなかった。プログラムの課題すら満足にこなせない状況で、やりたいと思っていたことは本当に消化不良だ。色々な人の留学ブログをなんの気無しにこれまで読んできていたけれど、ずっとブログを書き続けながら就活もして、課題もしっかり仕上げて異国で生活している人たちってほんとうにすごい。どういう精神構造しているんだろうか。もしくはそこまで鉄人でなければ大学院留学なんてするべきではなかったのだろうか。 人類学は自分にとても合っていた。社会構造への丁寧な視点、通念化されている規範への懐疑的姿勢、言葉をつくして目に見えない概念をあらゆる角度から描き出そうという試み。これまでなんだか「モヤモヤする」と感じていたことが、人類学の知見を借りると少なからず言語化できる。第二言語で新しい学問を始めるのは本当にきつかったけれど、とりあえずこの一年は最初の大きな障壁で、これを越えてからいよいよ、探索の道のりは長く細く続いていくんだろうと思う、アウトプットがどう言う形になるんであれ。とにかく写真には意識的に反映させていきたい。 大学院という場で、「研究が本当に好きな人種というのが存在するのだ、研究者とはこういう人たちのことを言うのか」と目の当たりにした。そして自分は違うな、とよくわかった。10代までは「お勉強ができる人間」だったかもしれないけれど、でもそれは解答のない事象について考え続ける思考体力があることとイコールではない。自分には何ができるんだろう。まだまだ答えは出ない。 大学でのイベントごととしては: -イギリス全土の大学で教員ストライキが起き、案の定巻き込まれる。海外からの学生二倍学費払ったのだから、本気でお金を返して欲しい。 -インドのお祭りホーリーが構内で開催され、楽しそうに色粉を投げ合う人々を、横から眺めた。 -シリア人学生のチャリティディナーに参加する。インド人とパキスタン人が仲睦まじく戯れあっていて、イギリスらしさを感じた。 -民族誌的映像のワークショップに参加して初めて映像作品をつくった。映像は画像、画角、色などの写真に必要な技術以外の要素も多くてむずかしい。 -その他週ごとのセミナーやゲストを呼んでのレクチャーの数々をのぞく。そのうちいくつかは修論にも役立ったので、少しでも興味があるものはとりあえずのぞいてみていてよかった。 -大学で行われる毎月のデッサン会に通う。驚くべきことにちゃんとしたヌードデッサンで、モデルは学生。参加費2.5ポンド (400円)。ちなみにこの大学には芸術学部はないにもかかわらず、毎月多数の参加があった。ヨーロッパだから成立している現象だと思う。このデッサン会が私の癒しだった。 大学外のイベントごととしては: -メキシコを舞台にした映画Coco(リメンバーミー)をメキシコ人とコロンビア人と見に行く。ラテンアメリカっぽいネタが出てくるたびに彼らは大笑いし、周りの観客と私たち日本人はポカーンとしていた。 -ロンドンの美術館を回る。ロンドンの美術館では金曜日の夜にアーティストトークやピアノ演奏の中での絵画スケッチ会が行われていて素晴らしい。 -切り詰めた生活のおかげでウエストエンドのミュージカルを数回観に行くことができた。手が届く値段で世界に轟く名声をはなつミュージカルを観ることができてなんと幸運なのだろう。 喉元過ぎれば熱さ忘れるというが、しかしあの冬の苦悩は思い出すだけでもう二度と経験したくないと思う。もちろん学んだことは多い。 例えるならば、滝行のような1年弱だった。
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Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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