ずっと、心にこびりついている物語がある。
絵本で読んだのかどうかさえ定かではない。どこかで誰かが引用していたのを読んだのかもしれない。 それが、グリム兄弟の童話「キツネとネコ」。 話はこうだ。 キツネが、ネコに自分がどれだけ利口かを自慢していた。犬に襲われたときに使える方法をどれだけたくさん持っているかを話すキツネに対して、ネコは木に登ることしかしらない。キツネがネコに憐れみの目を向けたその時、ちょうど猟犬が二匹に向かって走ってきた。ネコは自分が知っている唯一の逃げ方をとって木に登った。したをみて、キツネに叫ぶ。「キツネさん!知恵の袋を早く開けて!」しかしキツネは捕らえられる。ネコは嘆く、自分のように木に登ってさえいれば命を失わずに済んだのに、と。 "You and your hundred tricks are left in the lurch. If you been able to climb like I can, you would not have lost your life." (原文:リンクより引用、日訳文責: 筆者) 私はあの狐のようになってはいないか。狩人が来たあとでさえ逡巡して、自らが誇る選択肢に溺れて死んだ、あの狐のように。 このまま行く先を決めきれずにこの場に立ち尽くしていると、時に引きずり込まれて過去と未来に引き裂かれてしまいそうだ。
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白昼の月に掛かる飛行機の なんと小さくか弱きことか 寒い寒い晴れた日に、陸カモメが一匹芝生を見つめているのを横から覗いてみた。 すでに息絶えた、自分より小さな鳥類をついばんでいた。 水面で乱反射される太陽光は暖かく、身を切る寒さすら体内には染み込んで来られない。 「批判的によむこと、考えること」について、思うことが多々ある。
批判的によめ、といきなり言われても、こまる。そんな方法、教えてもらった覚えはない。それに、わたしは文章の構成要素の一粒一粒を愛でることしか知らない。これまで、それで幸せだったから。 本をよく読む子供ではあった。しかし、本は脳裏に広がる劇場の入り口で、文章を読み始めると上映が始まり、その映像に夢中になっていた、というのがわたしの経験の正確な記述である。 一方、一定の立場を説得的に強調する読み物はむしろ押し付けがましいと感じて、避けていた。センター試験の評論問題が嫌いだった。「なにを偉そうに」、とずっと思っていた。高校三年生のときに、柄谷行人*を読まされて呻いていたのはいまでも覚えている。評論の観念的な言葉を多様する表現も、自分の中で具象をともなった映像にできないから、つまらなく感じていた。ただどんよりとした、彩度の低い迷彩柄が視界に広がる体験よりも、美しい言葉で紡がれた誰かの記憶を追体験するほうを選んだ。 とにかく、読む物をかたっ端から印象論でとらえてしまって感情に響くわけで、そこに夢中になっていたら感情抜きにした論理的思考を育てる余地がなかった。 ついでに言うと、(かつ他人のせいにしていいのであれば、)幼少期にずっと「口答えをするな」と言われていた記憶がある。自分の性格を鑑みるとわたしが口答えをしすぎていた可能性は過分に大きいが、納得するまで疑問を展開するのに付き合ってくれる大人が周りにいたら違ったのかもしれない。が、世の中そんなに甘くはない。そのころは知らなかった。「でも、それ違うでしょ、むしろこうでしょ」という応酬を学問と呼ぶなんて。本質主義批判の批判がなんとかかんとか。頭が痛い。 というわけで、自分の意見・立場を体系立てた理由とともに明確にすることができない人間に育ってしまって今に至る。 「話を『んーーー…』といったっきり流している」だの、「投げたボールがかえってこない」だの何度も言われた覚えがある。学術書、新書などに対して、この本どうだった?と言われても答えられない。 別に、回答を求められている最中に上の空で夜ご飯のことを考えていたりする訳ではない。「へーーー!!、という感覚の連続でした」というのがわたしの全感想なのである。 本心をそのまま言ったら怒られるかな、怒られはしなくともこいつダメだと思われるだろうな、と考え始めたらますますなにも口にできない。困ったように笑うばかりである。しまいには「え、読んだんだよね?」と確認をされる。 そんな思考回路の足腰よわよわなままで、こんな議論の戦場みたいなところにやってきたものだから、なかなかメンタルに響く秋学期であった。 近しいひとたちには、去年末ごろから理論が理解できない、と嘆き喚いていた。はたして、自分の母語で勉強していたら少しは違っていたんだろうか。(おそらくないだろう。) 事実、や真理とかがないのもつらい。正解を求める癖が着いてしまった元成績優良児は、だいたいの手触りがわかったところで「じゃあわたしはこの人の言ってることと、この人の言ってることを使って、こう定義しよう」と自分で決めるところで立ちすくむ。 社会科学とかリベラルアーツとか哲学ってやつは、自然科学の基準でははかれないものを、いろんな人の視点からみることで大体のかたちを把握するんだと、現状思っている。人間臭さのない基準があらかじめ目の前にあるんだったら考えなくていいのに。思考歴3年くらいのわたしの頭がぼやく。 また、社会科学をやっていると、なまじなんでも批判的に考える癖がついて、どんどん主観的で偏屈になっているような気分になっていった。ちなみに批判的 (*クリティカルに)と批難とは違う。しかしもっといい日本語の訳語は生まれないのだろうか。また、もっとわかりやすくその態度を学術界の外に伝えたらもうちょっと分かり合えるだろうに。 とにかく、もともと偏屈なのにこれ以上人格が破壊されたら皆と同じように世界を知覚することにどれくらいのエネルギーを費やすことになるのか、と戦々恐々として日々を過ごした。 これに輪をかけるように、この分野は苦手だという「心理的スキーマ」に支配されているから、ますます考えられないし、記憶に残らない。文字情報を脳に入力する...解読に時間がかかる...エラー、エラー、エラー。そしてタイムアウト。 前期末は本当に地獄をみた2週間だった。パトラッシュ、もう疲れたよ…眠いんだ...っていっても、待ってるのが天国じゃなくて地獄だからやるしかない。もうなにをどうやったかの記憶があまりない。あの時、多分何かが憑いていたんだと思う。上滑りを打開すべく落ち着いて入門書に立ち戻ったのが期末後である。 この頃になって、理論はフレームワークだから、ふにゃふにゃで角度によっていろんな色に変化する複雑な物を、色違いの眼鏡をかけてみたり、計測単位の違う測りに乗せてやったり、四角や丸やあるいは雲形の枠にいれて、てざわりを確かめようとする試みなのだと理解するようになった。 物事を理解するチャネルが少し増えた気がして嬉しい。突貫工事だからすぐ水漏れはするだろうけれども。そんなことを考えているとふと、数学などを一生懸命やって、ふと街の景色を見た時にある形や音や光がポッと数式となって頭に現れて、ああ、美しい...って愛でられるくらいになったら、とても幸せだろうな、と思う。そういうチャネルを持っているひとにだけ見える世界がある。 日本に戻った時に、もう一度柄谷行人を手にとって見ようかと思う。もしまた読んでみてそれでも嫌いだったら、語り口が嫌い、とか水村美苗*に言い寄って岩井克人*を怒らせたらしいから、という理由以外に、彼の主張のなにがどう矛盾しているあるいは自分の考えと整合していないから読んでいて面白くない、と言えるようになっていたい。 *柄谷行人: 評論家。センター試験評論問題の本試験や模試で数回見かけた。なにが書いてあったかほとんど覚えていないけれども、いまだになぜか好かない。 *水村美苗: 主観的にみて、とても素晴らしい作家。寡作ながら出版された本は知っている限りすべて賞をとっているのでわたしだけの感覚ではない。 *岩井克人: 経済学者。水村美苗の夫。水村美苗の作品中に「殿」として出てくる。 ブログに書くのもおかしな話だが、私は手紙をしたためるのが好きだ。目で見る手書き文字には力があると思う。それに加えて、絵葉書や便箋を手にとって、ペンを選んで、きちんとした字を書くことに気をつけながら、そして書き進めるにつれて面倒くさくなってきて字が荒れることも含めて、楽しい。
手紙を受け取り筆跡をたどると、相手が書く言葉に迷う姿が目に浮かぶ。届いた内容に至るまでの労をかけてくれたことをうれしく思う。使う紙や、ペンには、LINEのスタンプとは違うニュアンスがある。ざらつきが、残る。手紙が届いたときの風景や匂いも私にとっては大事だ。なんと表現したらいいのだろうか、現実の手触りとでもいえるだろうか。 携帯電話が、メールが、なかった時代の恋に時々あこがれることがある。待つ時間は、いらつきを感じたりもどかしく相手をせかす現代の時間とは違う質を持っていたと思うから。 時たま手紙を書く事について同意してくれる人がいる。しかし、そういう友人たちは、才能あふるるゆえに自身の生活に忙しくしており、文通が長続きするというまでには至らない。というわけで、しばしば手書きの文章というものからは、遠ざかりがちだ。 だから今、ペンと便せんに触れる機会があるだけで、そういう機会と関係性を持てていることに思いを馳せるくらい、感慨深い。 苦学生ごっこをして1ヶ月が経った。
ごっこ、というのは学生ローンや最終兵器「親の財布」すらちょっと頑張れば使えるという恵まれた境遇にもかかわらず、自費で留学するという無茶をしでかしたからだ。奨学金は、全て落ちた。親にはこれ以上面倒をかけたくないのと同時に口出しされるのを恐れている自分がいた。 イギリスは物価と家賃が高い。一年だけの留学にもかかわらず車を買ったり毎日デリバリーの中華を学校に配達してもらっている中国人留学生の羽振りの良さは傍に置いておくとしても、奨学金を給付されているコモンウェルス加盟国や経済的後進国の学生のほうが、私よりかはいい生活をしてるように見える。 奨学金が取れるほどに優秀でなくても自分の希望するプログラムを求めて海外大学院まで来れてしまうこと自体が豊かさなのは頭が十分に理解している。してはいるが、わびしい気持ちというのは寒い日暮れには身にこたえる。また、学費半額かそれ以下の英国・欧州の学生に飲みに誘われるたびに貧しい気持ちになる。 また、衆議院選挙が終わって日銀が疲れを見せはじめたのか、逆に力を入れだしたのか。円が弱くなってきている。しかし数年のチャートを眺めていると、今はまだマシ、という虚な慰みをうけ、金銭を支払うモチベーションが多少湧いてきた。同じように、本代がかさむのも、夏目漱石の感じた書籍の高価格よりはマシか、というよくわからない言い訳で自分の善良な吝嗇さを騙し騙し、アマゾンに貢献している。日本国外に初めて住んでみるという体験は、予期せずそんな自分の経済への疎さを叱咤してくれているようだ。 改めて、私が今滞在している場所はブライトンという学生や若者に居心地の良い中規模の街の周辺だ。ヒップな街とはこういうところをいうのだろう。一旦市内に出ると、カフェやアートクラフトの個人経営店、ビーガン・ベジタリアン食はどこにでもあり、街の中心の教会前の芝生ではビンテージっぽい服をきて、髪を青や緑に染めた痩せ型の白人カップルがコーヒーをのんでくつろいでいる。海辺は大変綺麗で、大分と寒くなってきてからも少しでも日がさしてくればそこここで話に花を咲かせる人々を目にする。物価がロンドンほど高くないがロンドンには出やすく、大きなLGBTQコミュニティに代表される寛容性(少なくともジェンダーに関しては)があるブライトン。学生やアーティスト、そしてスローライフを重視する人には本当に住み良い街だと思う。 ちなみにベジタリアンやビーガン食は、大学の食堂でも完全対応されている。私のいるコースも「ガツガツしてない、共感力高め」な種類の人間の集まりなので、ビーガンやベジタリアン率が異常に高い。(マック/Apple製品保有率も高い。) これがイギリススタンダードと思ってはなるまい。一度、イギリスの中央値の生活を見に行かねば、と自分に言い聞かせている。もう一つついでに言うと、ビーガンは先進国の教養のある層の贅沢な習慣だと思っている。もちろん地球にいいことをするのはいいことだ。私も80%菜食程度の生活をしている。ここに、菜食主義、ではなく嗜好と所得の問題として、と注意書きを入れておきたい。私は確固としたイデオロギーを持てるほど勤勉ではない。 こんなに中国人留学生が多いにもかかわらず、中華はない大学カフェテリア。にもかかわらずベジ食は完備ということは、学生が声をあげて求めた、ということだろう。 宗教の関係などで生まれついた習慣でないものを自分の意志で選択し、自分を律することができる人は、声の大きい人でもあるようだ。 外国人の友人が、会社に行くのが辛い、という。外国人であることが原因で、彼女は辛い思いをしている。
これはいわゆる高度人材の話だ。 彼女は自国の日本語専攻で4年間学び、その間には1年間日本に留学をし、その後日本の大学院に進学して修士号をとった。そして、就職活動をして、日本で会社に就職した。 そして今、彼女は「自分は、会社をインターナショナルに見せるために雇われているお飾りにすぎない」という気持ちを抱えて仕事をしている。 「自分はこんなことをするためにこの会社に入ったんじゃない」という気持ちは、きっと世界中の被雇用者が感じうることだろう。自分が希望することでなくても、それは誰かが行わなくてはならない。会社という人の集合体で、全ての人が希望する仕事ができるわけがない。 しかし、外国人だからといって、他の同期生がやらせてもらえることを自分だけさせてもらえない、なんてことがあったら、それは不満だし悲しいことにちがいない。信頼されていない、外国人だからと意識されてしまい仕事を任せてもらえない、その思いは、自分の精神に牙を向くかもしれないくらい辛いものだと想像できる。 わたしの友人の場合、もともと大好きだったファッションに関わりたい・自分の出自を生かして働きたいと、国際的にも展開している衣料品関連の会社を選んだ。しかし現状日本国内向けの書類作りばかりやっているという。 入社すぐの若者がやりたい事業を引き継いだり立ち上げたりできるわけがない。それはわかっていても、「サービス残業でその日のレポートを仕上げていると、どうして努力した結果こんな単調な仕事をしているんだろうって、泣きそうになる」と彼女は言っていた。 日本企業では職務が明確ではないことが多い。それを当然としていない外国人被雇用者は、不満を覚える。様々な勤務地で様々な職務を経験させ、ジェネラリストを要請するようなシステムには、会議を通した協力体制の元で幅広い業務範囲に対応できるというメリットも勿論あるだろう。しかし実際周りの外国人や若手の社会人から聞こえて来る声には不満も多い。 そもそも「総合職・一般職」という名称は当たり前に受け入れられているが、何をしているのかよく分からない。私はごく普通の日本の家庭でそだった日本人だが、就職活動時期に差し掛かった同級生がさも当たり前のようにこれらの語彙を連呼するのが理解できなかった。曖昧な名称を職種としているのは、お互いを補完し、流動的に働けるようにするためかもしれない。しかしそれが文化を異にする地域からきた人をがんがらじめにして辛いと感じさせるなら、それは今後のスタンダードとなってはいけない。 今後日本において外国人人口は増加する一方だろう。はたして、日本はどうやったら異文化を背景とする人々に対して「風通しの良い社会」になるのだろうか。 まず「日本人」「それ以外」というラベルと、そのラベルに無条件に期待してしまうことに意識的になると、何かが見えるのかもしれない。 とある過疎地の島に自ら移住して、生活者の目線からその島の人々と暮らしの風景を切り取り続けている写真家を知っている。彼も「豊かさとは何か」を考え続けているらしい。
あるとき彼の写真展を訪ねた。説明がなくともシチュエーションが分かりやすい写真である一方、光がとても美しかった。彼の頭の中には現実がこう写っているんだったら、私もその世界の中で生きたいと思った。 わたしはギャラリーを辞す際、写真家氏に「あ、じゃあ...今後のご成功をお祈りしております」と何の気なしに挨拶した。なんの意図もない、挨拶のつもりだった。 そうすると彼は 「...みんなそうやっていうんだよね。成功って何?これ(写真の企画展をしているギャラリーで展示ができる)って成功じゃないのかな」 と言う。 はっとした。 芸術やものづくりを生業としていきたい人が誰しも直面すること。自分の作りたい作品だけで食べていこうとするべきか否か。一本道は、厳しい。 この写真家は写真を生活の糧とはしていない。第一次産業や観光業に関わる様々な仕事に年中従事し、その一方で写真家として自分の生きる島を記録している。しかし彼は、自分の立ち位置を「成功」と捉えている。 写真を撮り、それを売ったお金だけで食べていけることだけが成功だろうか。 自分でも、何で生活を成り立たせていくのが一番幸せなんだろうか、とよく考える。 芸大の絵画専攻出身の友人が複数人いるが、中には美術教師をしている者が多い。教えることに喜びを見出している人もいる一方、教師は腰掛けのつもりで、漫画を書いて投稿し続けている人もいる。映画製作を大学で専攻した別の友人は、もやもやしながら、商業用のイベントのダイジェスト映像をかなりのハイクオリティで作り続けている。 わたしを始め、少なくない数の人たちは、迷うことなく一本道を進めるほど、器用にはできていない。自分が純粋にいいと思って作り出したものが、思うように人に受け入れられない瞬間は大きな試練だろう。それを意図してかせずか、避けて生きている人も多い。 正解なんてこの世にないのだし、自分の好きにすればいいのだ。この現代日本で野たれ死んだり滅多にしない。 ただやはり、ものの見方の大きな潮流というのはあって、そこに目をくらませることなく自分の足で立ち続ける人たちが、芸術に携わる者の中の「成功者」なのだと思う。 茶太郎がさっき死んだ。 茶太郎は、おとといからわたしの住むシェアハウスで保護していた雀のことだ。同居人が拾ってきた。 はじめから、巣立ったばかりの雛ではなさそうなのに飛ぶのが下手で、おかしいなあと思っていた。でも首の後ろの青黒い膨れに気づいたのは今日の朝になってから。きっと血だまりだろう。昨日すこし回復していたように見えたのに、今日になって一気に衰弱してしまった。 言い方がちょっと適切でないかもしれない。でも、生き物が息をひきとる瞬間を目撃したのは、祖母以来、2番目だった。 茶太郎は最期の10分、痙攣しながらも必死に息をしていて、体全体が小刻みに上下していた。しかし最後に一回大きく痙攣して、みるみるうちにただのモノになっていった。 生き死にの境目って薄いなあ、とわたしは思った。 茶太郎を見取っているときに思い出したのが、山田詠美さんの「ひよこの眼」。この物語は、親に人生そして生命までも翻弄された子供の諦めをその恋人だった主人公の目線から静かに描いたものだ。国語の教科書に載っていたので、あまりの共感出来なさと読了感の悪さにモゾモゾする思いをかかえた同世代の人も多いのではと想像する。 主人公が両思いになる男の子は転校生で、どこか諦めた目をしていた。彼は親の無理心中の道連れにされてしまう。それを知った時に、主人公は自分が昔死なせてしまったひよこの、自分の死を予期しているかのように澄んだ瞳を思い出す。 遠くを見ていた臨終間際の茶太郎の目も、澄み切っていて綺麗だった。 わたしは、茶太郎が衰弱し出してから、彼(なのか彼女なのか、結局わからなかった)を気にしながらも料理をしていた。 今日の午前中すごく新鮮で美味しそうに見えたハタハタを買ってきていた。魚の頭の落としワタを出しながら、その一方で茶太郎のくちばしを無理やりこじ開け、ふやかしたポンガシを食べさせた。 命を生かす手立てをしながら、命をいただく準備をする。それを両手に抱えて、ただただ不思議だった。自分の行動に不整合性を感じて仕方がなかった。自分が同じくらい小さな生き物にしている扱いの差。そこには食べるものと、食べないものの差しかない。日本はスズメも食べる文化圏。茶太郎だって食べてしまおうと思えば、首の骨を折って羽を湯引きしてこんがりと焼き鳥にすることだってできたわけで。魚を美味しそうと思い、料理するわたし。一方でスズメを愛しいと思い、つぶさないように手で固定して餌をやるわたし。人間の理性の部分で固められたその境界線をこんなに色濃く感じたことは今までなかった。 茶太郎のことは、彼もしくは彼女を拾ってきた同居人と一緒に看取った。首の後ろの血だまりに神経を圧迫されていたのだとわたしは推測している。湯たんぽにのせたタオルの中で、体をまっすぐ保てなくなり、足に力を入れられなくなり、痙攣がはじまり、体がのけぞり始め、羽はだらんと開き、そして徐々に体全体の力が抜けていく、そういう死に様だった。 3日間だけしか一緒にいられなかったこのスズメを、スズメと呼ばずに茶太郎と名づけてしまった同居人は、その後飲みに行く約束があり、こころで泣きながら献杯を捧げたそうだ。 もはや自分達の人生にふらりと迷い込んだ野生のスズメの死に大粒の涙を流すほど純朴ではないけれど、3日を共有した皆の顔はやはり寂しげだった。 少なくとも自然界で放置されるより長生きできてよかったよね、と思うのは、人間のエゴでしかない。茶太郎にとっては、人間が自分をジロジロみて触りまわって口に食べ物を突っ込まれてこわかったかもしれない。でも、わたしは茶太郎のために良いことをした、と思うことにする、自分のために。 さっき、木の下に茶太郎を埋めてきた。4人も参列した立派な葬列だった。 今夜は特に特徴のない夜。美しい月でも出ていたら、もう少しこの感傷をきれいなものとして酔えたかもしれないのに。 合掌。 私は、自営業者である。
大学を卒業後、就職しなかった。 いいご時世に生まれたと思う。基本インフラとしてインターネットが整備され、それなりに手が届く値段でデバイスが買え、そこに自分のスキルとまごころを載せて飛ばせば、人に届く時代。私のような小粒な人間でも、なんとか食うに困らず生きてこられている。そしてLCCも普及し、日本のパスポートとクレジットカードを握りしめてさえいれば、おおよそ好きな所に好きなときにいける。 しかし、 「簡単に一週間休みとれていいよなー」 「そんなポンっと出せるお金ないわーすごいなー」 と言われるとモヤっとする。なんだか、誤解されている。 私の生活はいいように見えているらしい。しかし、たぶん同年代の所得と大差はないし、基本週7で働いているので、合計の休暇を計算したらきっととても少ない(社畜ならぬセルフ畜と呼んでいる)。福利厚生もない。 休みをとってないときは狂ったように仕事か勉強をしているのに、たまにまとめて旅行にいくので目立っているのかもしれない。というか、強制的に拠点以外の土地に旅行に出ないと休まらない。未知の土地に行かないと「やらなければいけない諸々のこと」以外ができない、という事情は伝わりにくい。 それに、お金をポンと出してるように見えるのは、それがわたしにとって優先順位が高いから。本当のところは、その金額を出したところで返ってくるものが多いと判断しないとお金は出さない吝嗇な人間だ。普段は自炊だし、シェアハウスに住んでるし、自転車行動だし、自分の部屋で絵を描くだとかの一人遊びで満足してしまうのであまり外でお金を使わないし、使っているお金の総量はみんなと変わらない。 きっとそういうことでしかない。 これは、Don’t date a girl who travelsという、フィリピン人サーファーの女性が書いたブログ記事の日本語訳だ。これは、旅が好きな女性が等身大の自分を書いた詩的な文章で、自分にしては珍しく何度か読み返した。これまでに30以上の言語に訳されて、インターネット上で広まったが、日本語訳はほとんどなかった。 この原文の意味を感じることができれば、きっと共感する人も多いだろうに...そう思ったので訳してみることにした。自分が英文を読んだ時の感覚としっくりくる日本語に。言葉を舌にのせたときの感覚や、リズムを重視したので、英語と日本語の意味に少々の相違は生じている。作者の言葉を味わいたかったら、原文が一番。よかったらこれをきっかけに原文も読んでみてください。 --------------*---------------------*--------------*---------------------*--------------*--------------- 「旅する女の子とは恋愛しないで」 "Don’t date a girl who travels" (Originally written by Adi Zarsadias) 日に灼けた、クシャクシャの髪をまとめないままにした女の子。肌は今や元の色とは程遠く、しかし美しい小麦肌ですらもない。肌のあちこちには重なった日焼けの線、傷、虫さされ。でもその一つ一つの傷跡に、彼女は素敵なエピソードを持っている。 旅する女の子とは恋愛しないで。喜ばせるのが難しいんだから。ただのディナーと映画のデートなんて彼女の生気を奪うだけ。その子の心は新しい経験と冒険を欲しがっている。新車とお高い時計がどうしたっていうの。モノの自慢を聞くくらいなら、彼女はロッククライミングやスカイダイビングをするでしょう。 旅する女の子とは恋愛しないで。航空券のセールがあれば毎回、予約をせがんでうるさいだろうから。その子は街のクラブに繰り出しはしないし、Aviciiのライブに100ドル払ったりもしない。クラブで過ごす週末に使うお金があれば、それよりずっとずっとワクワクする、どこか別の場所での一週間が過ごせると知っているから。 多分、その女の子は決まった職には付かないでしょう。もしくは多分、仕事を辞めることを夢見ている。他の人の夢のために頑張り続けるなんて、彼女のしたいことじゃない。彼女には自分自身の夢があり、それに向かって進んでいる。彼女はフリーランサー。デザインやライティング、写真なんかのクリエイティブさと想像力が必要な仕事でお金を稼ぐ。あなたのつまらない仕事の愚痴で彼女の時間を無駄にしないであげて。 旅する女の子とは恋愛しないで。きっとその子は大学の学位を投げ打って、全く進路を変えてしまった。彼女は今ダイビングインストラクターやヨガ講師をしている。次にいつ収入が入るか定かじゃないけれど、ロボットみたいに一日中働くことなんてせずに、外の世界に出て行く。生きていると必ず出会うものをそのまま受け入れ、そしてあなたにも、同じ生き方をしてほしいと挑むんだから。 旅する女の子とは恋愛しないで。その子の選んだ人生は、先の見えないものだから。彼女には生き方の計画や固定の住所なんてない。流れに身を任せ、心に従うのが彼女の人生。自分で刻むビートに合わせて彼女は踊る。腕時計なんてつけないで、太陽と月が支配する生活を送る。波が呼んでいる時は、生活の全ては止まり、他のことを全部忘れてしまう。でも彼女はもう、サーフィンが人生で一番大切なことじゃないってことは知っている。 旅する女の子とは恋愛しないで。自分の意見ははっきり口にだして言うんだから。あなたのご両親や友人に自分を印象付けようなんて絶対しない。人に敬意をはらうということは知っているけれど、地球規模の問題や社会的責任についての議論に臆したりしない。 その女の子はあなたなんて必要としない。手を借りなくても、テントの張り方やサーフボードのフィンの取り付け方は知っている。料理をするのが上手だから、食事代を払ってもらう必要もない。完全に自立している彼女にとっては、あなたが一緒に旅行しようがしまいが気にもならない。目的地についた時に無事を知らせる一報を入れるのだって忘れるでしょう。彼女は今その場所を生きるのに忙しいんだから。まだ見知っていない人と話をしなきゃ。彼女は世界中の、似た意識を持った面白い人々と知り合い、熱意や夢を分かち合うでしょう。あなたには飽きてしまうでしょうね。 旅する女の子とは恋愛しないでね、あなたが彼女のスタイルについていけない限りは。そして、もし予定外にそんな女の子に恋してしまったら、その子をずっとそばに置こうとなんてしては駄目。彼女の好きにさせてあげて。 --------------*---------------------*--------------*---------------------*--------------*--------------- わたしは、女性であれ男性であれ、こんな生き方をしている人に惹かれる。考え無しなんじゃない、様々なものを見て考えて選んだ道筋。それをしっかり持っている人の周りには、自由のつむじ風が楽しげに吹き荒れている様子が見える。わたしも、そうありたい。そんな理想に近づけるよう、生きたい。 それからもちろん、ここに描かれている女の子のように好奇心を満たすことにいつも忙しくても、それでもどうしても一緒に居たいと思えるパートナーに皆が出会えるといいなと思う。 |
Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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