ブログに書くのもおかしな話だが、私は手紙をしたためるのが好きだ。目で見る手書き文字には力があると思う。それに加えて、絵葉書や便箋を手にとって、ペンを選んで、きちんとした字を書くことに気をつけながら、そして書き進めるにつれて面倒くさくなってきて字が荒れることも含めて、楽しい。
手紙を受け取り筆跡をたどると、相手が書く言葉に迷う姿が目に浮かぶ。届いた内容に至るまでの労をかけてくれたことをうれしく思う。使う紙や、ペンには、LINEのスタンプとは違うニュアンスがある。ざらつきが、残る。手紙が届いたときの風景や匂いも私にとっては大事だ。なんと表現したらいいのだろうか、現実の手触りとでもいえるだろうか。 携帯電話が、メールが、なかった時代の恋に時々あこがれることがある。待つ時間は、いらつきを感じたりもどかしく相手をせかす現代の時間とは違う質を持っていたと思うから。 時たま手紙を書く事について同意してくれる人がいる。しかし、そういう友人たちは、才能あふるるゆえに自身の生活に忙しくしており、文通が長続きするというまでには至らない。というわけで、しばしば手書きの文章というものからは、遠ざかりがちだ。 だから今、ペンと便せんに触れる機会があるだけで、そういう機会と関係性を持てていることに思いを馳せるくらい、感慨深い。
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Hrk writes. 両極端の、どちらも自分 Archives
November 2021
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